2018年9月 8日 (土)

牛久でパネル展・講演会がありました。

 8月7日から12日まで、茨城県牛久市の中央生涯学習センターにおいて、平頂山事件のパネル展と講演会が開催されました。


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 「日中友好協会茨城県南支部」と「うしく平和の会」との共催で、『戦争と平和を考える』というイベントが開催され、1週間のパネル展示と、2つの講演会がありました。

 パネル展示では、15年戦争・平頂山事件・原爆の3つをテーマとした展示がされました。
 2階展示ホールにパネルが並べられ、満州事変が起こってから翌年の平頂山事件勃発、15年戦争の全貌、日本における原爆被害に至るまで、戦争の全貌がわかる流れで展示されていました。

 8月12日には、元琉球大学教授の太田昭臣さんによる、1944年に沖縄で編成された少年遊撃隊である護郷隊についての講演がありました。
 平頂山事件弁護団の坂本博之弁護士による講演は、前日の8月11日に行われました。


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 平頂山事件の講演は小講座室で行われ、たくさんの人が集まってくださり、立ち見の人が出るほどでした。

 坂本弁護士のお話は、パワーポイントとレジュメを使いながらなされました。平頂山事件のことを知らない人も多いため、平頂山事件の紹介から始まり、事件の歴史的背景、事件の概要、事件後の日本政府の対応、関わった者と戦犯裁判との関係を説明したあと、戦後補償裁判の経緯までを話しました。

 さらに、近年の国際的な動きとして、日本と同じ枢軸国だったドイツを巡るいくつかの事例が紹介されました。

 具体的事例としては、一つは、1944年、ギリシャ・ディモスト村の住民214名が、ドイツ武装SSにより殺害された事件です。
 二つめは同じ1944年に、イタリア・チヴィテッラ村およびその周辺の住民244名がドイツの師団の一部隊により虐殺された事件です。
 三つめは、これも1944年に、フランス・オラドゥール村の住民600名が、ドイツのSSによって虐殺された事件でした。

 これらの事件で、1990年代後半から現在に至るまで、ギリシャやイタリアの裁判所が勝訴判決を出したり、フランスの虐殺事件でドイツの大統領が現地を訪れたりという動きが起こっていることを紹介し、日本でも、人権を最大限に尊重する判決が出されるべきだという話で締めくくられました。

2018年8月17日 (金)

「『撫順』から未来を語る 撫順・瀋陽・ソウル」旅行記 第5回報告

 撫順,瀋陽,ソウルをめぐる6日間の旅行報告の第5回報告です。
 今回が最終回になります。

 一行は9月19日に瀋陽からソウルに移動し、20日水曜日にソウルで「水曜デモ」に参加して帰国しました。その行程をご報告します。



【19日  西大門刑務所見学、夕食交流会】

 19日に中国からソウルに到着し、アリラン航空旅行社の代表金善龍さんと平和ガイドの金寿栄さんが空港でお出迎えをしてくれました。

 早速、インチョン空港から西大門刑務所に行きました。西大門刑務所はソウル市内にあり、1908年に日本政府が建てました。現在は刑務所跡が資料館になっています。


《西大門刑務所の入口》

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 日帝時代は独立運動家を収監、拷問しました。独裁政権時代には、民主化運動家が投獄、弾圧されました。その歴史がパネルや模型で詳しく説明されています。
 日帝時代から戦後の軍事政権時代まで金寿栄さんの詳細な説明がありました。

《拷問展示の一つ》

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《死刑執行場》

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 柳寛順が入れられた地下監獄はとても狭い独房でした。拷問も受けました。10代の学生が拷問を受けたと聞くだけでぞっとしますが、なぜ女性の監獄が地下だったのか、柳寛順の正確な死亡日や遺体の所在など、今だに判明されていないとのことでした。  


《柳寛順が入れられた地下独房》

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 韓国といえば焼き肉です。ホテルから歩いて10分ほどの焼き肉屋さんでサムギョプサルを堪能しました。
 その席に元朝日新聞記者の植村隆さんと民族問題研究所の金英丸さんが参加してくださいました。韓国の社会情勢などリアルなお話を伺うことができ、大変素晴らしい交流ができました。


《植村隆さんが参加してくれた宴会》

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【20日  景福宮、韓国挺身隊問題対策協議会、「戦争と女性の人権博物館」水曜デモ】

 20日とうとう帰国日です。
 朝一番で景福宮を見学しました。
 一番奥にある明成皇后(閔妃)殺害現場の建物が復元されたそうで、その建物だけ見学しました。金さんが、殺害した明成皇后が本人かどうかを確認するための日本のやり方が本当に許せないと、涙を浮かべて説明していました。大変屈辱的な方法だったといいます。  


《景福宮での記念撮影》

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 その後すぐ移動し、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)を訪問しました。ビルの一番上のフロアでカフェのようなとてもすてきな雰囲気の事務所でした。団体の活動を伊美香さんにお話を伺い、参加者からも質問がたくさん出ました。  


《挺対協事務所の建物》

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《挺対協との協議》

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 すぐ近くにある「女性と人権博物館」を見学しました。高校生くらいの若い方々がたくさん見学していたのが印象的でした。  


《女性と人権博物館の建物》

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《館内にある元「慰安婦」の方の銅像》

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 そのあと水曜デモ参加しました。
 渋滞のため少し遅刻してしまいましたが、すでに水曜デモは大変な活気で盛り上がっていました。
 トラックの上がステージになっており、スピーカーも完備で、ボランティアの方が無料でイヤホンを渡してデモの発言の内容を通訳していました。200人くらいはいたのではないでしょうか。金融系の組合の人や、メディア、欧米系の方などたくさん参加していました。


《水曜デモの様子》

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《水曜デモの参加者たち》

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《会場であいさつする金福童ハルモニ》

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 私たちも発言の機会をいただきました。
 参加者の代表がハングルで、平頂山事件のことを説明しました。日本政府は住民虐殺の事実を認めていない、謝罪するまでともにがんばりましょうと伝えると、参加者の皆さんはうなずき、拍手してくれました。


《参加者一行のあいさつ》

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《会場の慰安婦像》

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 近くのレストランで参鶏湯をいただき、ソウル組も無事帰国しました。


《最後に食べた参鶏湯》

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「『撫順』から未来を語る 撫順・瀋陽・ソウル」旅行記 第4回報告

 撫順,瀋陽,ソウルをめぐる6日間の旅行報告の第4回報告になります。
 たいへんお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
 
 今回は,9月18日の報告です。この日は撫順から瀋陽に移動して、いわゆる『瀋陽裁判』の跡地や九・一八記念館などを見学しました。





 9月18日は、バスで瀋陽に移動しました。出発前の朝、撫順の宿泊先である友誼賓館に周館長が見送りに来てくれました。
 撫順から瀋陽まで高速道路で移動しました。昨年来た時はまだ、開通していませんでした。

《周学良・平頂山記念館館長(中央)との最後の記念撮影》

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 瀋陽では、まず瀋陽特別軍事法廷陳列館に行きました。ここは、1956年に瀋陽で開かれた日本戦犯を裁く特別軍事法廷があった場所(旧跡)で、以前は映画館でしたが、法廷の様子を復元する記念館となり、2014年5月から一般公開されています。

 この軍事法廷で撫順戦犯管理所に収容された戦犯たちも裁判を受けました。全員自らの罪を認めましたが、処刑されることなく、日本に帰国が許されました。


《瀋陽特別軍事法廷陳列館の建物》

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 当時の写真や資料も展示されていますが、圧巻は蝋人形が居並ぶ法廷の陳列です。首を下げて法廷に立つ戦犯たちの蝋人形は大変精工に作られていて生きているようにも見えます。

 当時の資料に基づき作られているそうで、撫順の軌跡を受け継ぐ会の人からは、自分の知っている元戦犯の蝋人形もあり、そっくりだったとの感想が述べられました。


《蝋人形によって再現された法廷の様子》

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《寛大な判決に聴き入る被告人たち》

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 陳列館を出て、バスは、瀋陽旧大和ホテルに向かいました。中山広場の前にある20世紀初めに旧満鉄が建てたホテルです。蒋介石や毛沢東も宿泊した歴史のあるホテルで、内部はきれいに保存されています。

 中山広場の正面には毛沢東の巨像が立っていて、現代中国とそぐわずなんとも不思議な感じです。


《中山広場の毛沢東像》

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 昼食をとった後、この日のメインである918記念館に行きました。

 1931年9月18日、関東軍は、柳条湖において満鉄線路を爆破しこれを国民党軍の襲撃であると偽って、中国東北部への侵略を本格化させていきます。満州事変(918事変)の始まりです。この鉄道爆破地に918記念館が建てられています。


《9・18記念館》

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 入口には江沢民の書で918記念館の大きな碑があります。
 満鉄線路の爆破地点にも碑がたっています。


《江沢民の揮毫》

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 陳列物の中には、満州国の役人や軍人(戦犯)の写真と説明があり、岸信介元首相の写真と説明もありました。
 日本軍の小銃や、拷問具などが陳列されているほか、瀋陽の戦犯法廷の写真もかなり展示されています。
 平頂山事件や731部隊のコーナーもあります。


《A級戦犯岸信介の展示》

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《展示されていた拷問器具》

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《731部隊の展示》

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 平頂山の幸存者の莫さんの写真もありましたが、なぜか名前が違って表示されていました(李徳勝)。
 918記念館は、広大な面積ですが、展示物に日本語表示がないのが残念です。


《名前が間違っている莫徳勝さんの写真》

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 記念館を後にして、一行はホテルに戻り、希望者は、スーパーで買い物をしました。その後の晩餐会では、参加者一同、旅の感想を語り合い、盃を重ねて来訪を誓いあいました。


《瀋陽市内のスーパーマーケット》

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《薄暮の瀋陽の街並み》

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2018年5月19日 (土)

「『撫順』から未来を語る 撫順・瀋陽・ソウル」旅行記 第3回報告

 撫順,瀋陽,ソウルをめぐる6日間の旅行報告の第3回です。

 今回は,記念式典翌日の9月17日に行われた撫順フィールドワークと撫順戦犯管理所訪問です。夕方には,平頂山事件幸存者の遺族を招待しての夕食会が催されました。



9月17日(日)

 この午前中は撫順市社会科学院の元院長・傳波さんの案内で平頂山事件の現地をまわるフィールドワークです。

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《撫順炭坑長住宅跡》

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 最初に撫順炭坑の炭坑長の住宅跡です。市内中心の小高い地域に立派な建物が残っています。事件当時久保孚が居住していました。
 当時は炭坑長は空席になっていて、副炭坑長の久保孚がここに住んでいたそうです。久保は平頂山事件の謀議をめぐらした場にいて、戦後の国民党の戦犯法廷で処刑されています。


《煤都賓館》

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 次は当時の炭坑ホテルです。ここは当時の満州国の要人らが宿泊していたところで、日本の敗戦後もホテルとして活用され、後の中国の要人となる人物もたくさん宿泊しています。

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 いつだれが泊まったかということが宿泊した部屋にプレートが掲げられています。今は煤都賓館として現役のホテルです。


《撫順神社跡地》

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 その次は「撫順神社」の跡地です。今はこわされていて、跡形もありませんが、撫順の高台に建てられていました。


《神父が宿泊していた建物》

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 次に訪ねたのは、古い、こわれかけた建物です。当時
神父さんたちが宿泊していたところのようで、ここは事件の後アメリカ人の新聞記者ハンターがここを訪問して、神父の衣服を借りて事件現場に行き、取材をしたということです。
 今は近くの市場の商人が資材置き場になっています。ここで出会った男性は私たちに、「自分はキリスト教徒でこの建物をボランティアで管理している」と話していました。


《炭鉱事務所建物》

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 さらに市内を車でぐるっと回り事件の時、謀議をめぐらせた「炭坑事務所」に行くことにしました。傳波さんは、今はそのたてものは一企業の建物になっていて、はいれないから、道路反対側の病院の上の方からみよう、ということで病院に行きました。
 ここは戦前は満鉄病院で、今も病院です。この9階の窓からよく見えるということで行きました。入院患者がベッドに横たわっている隣の廊下から、道路向かい側の炭坑事務所を見ました。かなり大きな建物で立派なものです。


《独立守備隊宿舎跡地》

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 さらにバスを走らせて、関東軍独立守備隊の宿舎跡へ行きました。
 今は兵士の宿舎しか残っていません。それも廃墟のようになっていて、半分朽ち果てた建物がありました。畑に囲まれていて今も住民が住んでおり、建物は当時のままに残っています。今にも崩れそうな壁と屋根でした。


《撫順戦犯管理所》

 午後は撫順戦犯管理所訪問です。
 ここでは館長さんが出迎え、あいさつをかわしたあと館内を案内してくださいました。ゆっくり展示をみてまわることができました。


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年にソ連から移管された日本軍の元兵士たち969人はここで中国側からの人間的な対応に接し、自分たちが中国人に対して何をやったかを考えるようになります。周恩来の政策です。
 職員のほとんどは身内が日本兵に殺されています。周恩来の方針に納得できない職員も多数いました。それを辛抱強く説得し、元日本兵を人間的に遇するのです。元日本兵が鬼から人間に再生したのです。
 元兵士は自分のしたことを坦白し、極刑にしてください、と言います。しかし、
1956年開かれた法廷では、ほとんどの人が起訴猶予となり、即時解放されます。有罪となった45名もシベリア及びこれまでの戦犯管理所の期間が算入され、刑期短縮で1964年4月9日までにすべて帰国します。

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 帰国した元兵士は中国帰還者連絡会をつくり、日中友好、反戦平和の運動を繰り広げます。当時の戦犯管理所の様子がわかる展示が残され、戦犯が運動や娯楽を楽しめるような設備が随所に残されていました。演芸会をやった舞台、園芸を楽しめるようにできた庭園もあります。運動場で運動会もやったそうです。戦犯の写真も飾られ、戦争の時、中国人に何をしたのか、人から鬼になった時の状況も展示されています。

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 一人ひとりの人間のドラマがあります。中国の戦犯政策の勝利です。
 1987年になって元戦犯たちがつくった謝罪碑が管理所正面に設置されています。ここに献花し、犠牲者への黙祷をしました。


《夕食会》

 夕食は幸存者の遺族を招待しての夕食会です。幸存者で原告だった莫徳勝さんの長男夫妻、同じく原告だった楊宝山さんの娘婿の劉伝利さん、幸存者の楊玉芬さんの次男、幸存者の鄭殿齢さんの息子の鄭長記さんらを招きました。遺族とも今後も交流を続けようと参加者一同で宴会を盛り上げました。

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 《幸存者の鄭殿齢さんの息子の鄭長貴さん》


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 《幸存者で原告の莫徳勝さんの息子の莫林義さん》



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 《幸存者で原告の楊宝山さんの義理の息子で後継者の劉伝利さん》


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 《幸存者の楊玉芬さんの次男》

「『撫順』から未来を語る 撫順・瀋陽・ソウル」旅行記 第2回報告

 たいへん遅くなってしまいましたが,撫順,瀋陽,ソウルをめぐる6日間の旅行報告の第2回をお届けします。

 今回の報告は,2017年9月16日午後に行われた「第13回 平頂山惨案国際学術シンポジウム」についてです。
 シンポジウムでは,平頂山紀念館内の会議室で,日本側・中国側からそれぞれ発表が行われ,それに関する議論が交わされました。




平頂山惨案85周年国際学術シンポジウムについて

 

【シンポジウムの概要】

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 2017年9月15日午前10時30分から,第13回平頂山事件国際学術シンポジウム(主催:撫順市社会科学院,撫順平頂山惨案紀念館,平頂山事件弁護団,平頂山事件訴訟の勝利をめざす実行委員会)が,中国遼寧省撫順の平頂山惨案紀念館会議室にて開催されました。

 シンポジウムには,主催団体関係者に加えて,中国側からは撫順市の市政府や共産党関係者,撫順戦犯管理所の関係者,歴史研究者など,日本側からは労働組合や市民団体関係者,歴史研究者などが参加しました。

 周学良平頂山惨案紀念館館長の開会挨拶の後に,報告及び討論に入りました。

 報告者は,中国側が7名,日本側が3名でした。


【王平魯 撫順市社会科学院副院長の報告】

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 最初の報告者は,王平魯撫順市社会科学院副院長(中国)でした。
 王副院長は,平頂山事件の事実とともに,その解決に向けた日中間の市民の長年にわたる共同行動が日中両国の市民に必ずしも十分に知られていないこと,平頂山事件の被害者(幸存者)が亡くなる中で,事件とともに共同行動の取り組みのことも次世代に継承していくことが重要であるとの指摘がありました。

【佟達 元平頂山惨案紀念館館長の報告】

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 次に,元平頂山惨案紀念館館長の佟達氏(中国)から発言がありました。
 佟達氏は,平頂山事件訴訟において事実認定されたことの意義を強調した上で,その意義を日中両国で継承していくことの重要性を指摘しました。
 また,関東軍司令部の事件への関与の有無など平頂山事件には未解明な論点があることから,さらに歴史研究を進展させることが重要であること,そのためには,例えば加害兵士の手記などさらなる歴史資料の発掘が必要であるということを述べました。
 さらに,南京事件は歴史記憶遺産に登録されているが,平頂山事件も南京の歴史遺産を拡張する方法で歴史記憶遺産として登録することも可能ではないかとの問題提起がありました。


【川上詩朗 平頂山事件訴訟弁護団弁護士の報告】

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 次に,川上詩朗弁護士(日本)が,
2016629日から2017612日までの約1年間,8回にわたり東京で開催した連続講座(撫順から未来を語る実行委員会主催)について報告しました。

 川上氏は,日本が再び戦争への道を歩み始めたことへの懸念が広がる中で,改めて戦前と比較しながら今の時代を見直すために,「日本国憲法施行70周年 日本が再び『戦前』にならないために~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して」と題する連続講座を開催したことを報告しました。


【王建学 九一八歴史研究会会長の報告】

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次に,王建学九一八歴史研究会会長(中国)が,今後の平頂山事件の歴史研究の在り方について報告しました。
 王会長は,中国での虐殺事件である旅順・平頂山・南京の各事件について連携させながら比較研究すべきこと,ヨーロッパ等にも平頂山事件を知らせる取り組みを強化すべきこと,日中両国で研究機関として「平頂山惨案研究センター(仮称)」を設立すべきこと,平頂山事件解決のための日中両国の市民による共同行動について中国国内で知らせていくことが重要であることなど報告しました。

【井上久士 駿河台大学教授の報告】

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 次に,井上久士駿河台大学教授(日本)が,平頂山事件の加害兵士等の実態に関する歴史研究の成果を発表しました。
 井上教授は,独立守備隊だけで平頂山の住民虐殺を行うことは不可能であること,独立守備隊の下で,憲兵隊,警察隊,防備隊,自衛団,青年団,撫順の学生などが組織され共同で実行したこと,それは組織的・計画的なものであったことなどを,当時の写真等を用いながら実証的に報告しました。

【丁美艶 撫順市社会科学院党史辦助理研究員の報告】

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 次に,丁美艶撫順市社会科学院党史辦助理研究員(中国)は,これまでの平頂山事件国際学術シンポジウムの内容等を分析した結果について報告しました。
 丁氏は,これまでの平頂山事件国際学術シンポジウムの内容を,①平頂山事件の歴史的事実の研究,②平頂山事件訴訟の意義等の研究,③平頂山事件と他の事件との比較研究,④平頂山事件の解決方法等の研究,⑤平頂山事件の研究状況の分析,⑥平頂山事件の宣伝と教育の研究,⑦平頂山事件と抗日戦争の研究という7項目に分類しました。
 また,シンポジウムの特徴として,①研究活動と,平頂山事件の法的・政治的解決に向けた実践的な取り組みが深く関わり合い,時代とともに課題が変化してきたこと,②研究内容の深化とともに研究範囲も拡大し,欧米での調査活動も加わってきたこと,③ベテランと若手の研究者が一緒に研究を進めてきたこと,④毎年中日双方の研究が継続することで日中間の交流の土台を作ってきたことを指摘しました。
 そして,今後の課題として,①平頂山事件は中国での住民虐殺の始まりに位置づけられる事件であり,今後も歴史研究の進展が望まれること,②資料保全など平頂山事件の歴史研究の成果を確実なものとしながら,学術企画などをとおして研究成果への理解を更に広げること,③生存者がいなくなる中で,研究資料の保全が日中友好の礎になること,④国際学術シンポジウムが継続して行われてきたこと自体が歴史の一部であり,その成果を保存する必要があること,⑤日中共同研究の下で確認されてきた事実を次の世代に継承していくことなどをあげました。

【寇嘉慧 撫順市社会科学院党史辦主任科員の報告

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次に,寇嘉慧撫順市社会科学院党史辨主任科員(中国)は,日本の中国侵略期における平頂山事件以外の撫順民衆に対する虐殺事件について報告しました。
 寇氏は,10人以上が虐殺された20件の住民虐殺事件を対象に,虐殺の動機,手段,方法,場所等について分類して分析した上で,虐殺事件の特徴として,①日本軍の残虐性を示していること,②天皇の命令に従うという意識の下にあるため罪の意識がないこと,③明治維新以降形成されてきた中国人に対する差別的な見方が事件に現れていること,④虐殺の背景には日本軍内部における上官から下級兵士への虐待等により,下級兵士がストレスを抱えていたことがあるのではないか,ということなどが指摘されました。
 そして,南京事件やルワンダの虐殺事件などをみると,住民虐殺事件は文明社会とのバランスが崩れたことの現れであり,それに対して国際社会(文明社会)から制裁が加えられてきたこと,日本の教科書検定における歴史修正に現れているように,虐殺事件を忘れることは過ちを再び繰り返すことになると述べました。
 最後に,靖国神社問題や「慰安婦」問題などが問題となっているが,戦争責任を明らかにしてこそ未来を作ることができるのではないかということが強調されました。

【盖嵐嵐 平頂山惨案紀念館宣教部主任の報告

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次に,盖嵐嵐平頂山惨案紀念館宣教部主任(中国)は,中国国内における青少年への教育について報告しました。
 盖氏は,平頂山惨案紀念館は197335日に開館してから,青少年に対する教育を重視してきたこと,教育の方法としては,青少年に対して,被害者本人の証言を聞かせること,虐殺現場での遺骨の発掘に参加させること,発掘労働に参加することで現場の迫力に圧倒され印象が強く残るなど遺骨の発掘労働が教育の一部であること,平頂山惨案紀念館や遺骨館を参観させることなどを行ってきたと説明しました。
 また,青年の成長に応じて,例えば,清明節には学校から平頂山惨案紀念館まで歩いて訪問させたり,記念館のガイドを経験させるなど,教育を段階的に行っていることなどが報告されました。
 そして,今後の課題として,日中両国が青年の教育について協力することの重要性が強調され,また,中国のみならずインドネシア等のアジアの虐殺やヨーロッパの虐殺等について展示会を企画してはどうか,という問題提起もなされました。

【姫田光義 中央大学名誉教授の報告】

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 最後の報告者として,姫田光義中央大学名誉教授(日本)が,「撫順の奇蹟」を世界記憶遺産登録するための取り組みについて報告しました。
 姫田名誉教授は,撫順戦犯管理所における元日本兵に対する寛大な処遇により,元戦犯が「鬼から人間に」変わり,その元戦犯らは日本への帰国後,平和と日中友好のために献身して来たという歴史事実(撫順の奇蹟)は,正に「人類文明史上」唯一の輝かしい人間讃歌として記憶し後世に語り継ぐべき「記憶遺産」そのものであること,それは今日世界各地で頻発する戦争や紛争を防ぎ世界人類が平和に共生共存しうる道を示しているものであり,過去の暗い歴史を未来の明るい建設的な展望へと導く貴重で重要な資料として世界記憶遺産にふさわしいものであるとし,中国側に世界記憶遺産に向けて積極的に取り組むよう求めました。

【傅波 元撫順市人民代表会議副秘書長のまとめ】

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 以上の報告を受けて,最後に,元撫順市人民代表会議副秘書長の傅波氏(中国)から,それぞれの報告に対する簡潔なまとめの発言があり,その上で,今後の課題として,平頂山事件の歴史研究の成果とともに,平頂山事件の法的・政治的解決に向けた日中共同の一連の取り組みも含めて,その成果をいかにして継承していくか,とりわけ青年に対する継承の重要性についての指摘がありました。

【おわりに】

 今回のシンポジウムでは,13年間にわたり毎年積み重ねてきた国際学術シンポジウムの成果を改めて確認することができました。
 また,平頂山事件訴訟の原告を含む事件の幸存者が全て亡くなる中で,平頂山事件の教訓をいかにして継承するのかという課題に私たちが直面していることを改めて自覚させられました。

そしてそれは,平頂山事件の幸存者の解決要求の一つである「平頂山事件の悲劇を再び繰り返さないために、事実を究明し、その教訓を後世に伝えること」という要求を実現のための取り組みそのものであり,その要求実現の担い手は,私たち日中両国の市民であるとの思いを改めて強く抱きました。

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 以上

2017年12月13日 (水)

「『撫順』から未来を語る 撫順・瀋陽・ソウル」旅行記 第1回報告

 「撫順」から未来を語る実行委員会では,2017年9月15日~20日の日程で,撫順,瀋陽,ソウルをめぐる6日間の旅行に出かけてきました。今回から不定期で,写真とともにその旅行報告をお送りいたします。

 最初は,9月16日の午前中に,「平頂山惨案遺址紀念館」で開催された記念式典の様子です。

 平頂山事件の発生が1932年9月16日で,今回はその85周年にあたる記念式典でした。

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                            《当日の会場の様子》



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                     《会場に集まる参列者》



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                      《黙祷する参列者》



 「撫順」から未来を語る実行委員会の委員長である井上久士・駿河台大学教授の挨拶文は,以下のとおりでした。



 

平頂山事件85周年追悼大会の挨拶

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                                           井上久士(日本平頂山事件研究会会長、日本中国友好協会副会長、駿河台大学教授)

 

 本日は平頂山の惨劇から85年目の記念日にあたります。私はまず最初に、あの事件に遇われたすべての無辜の犠牲者に衷心より哀悼の意を表します。またそのご親族及び関係者の方々に心からのお見舞いを申し上げます。

 1931918日、日本は満洲事変をおこし、中国に対する侵略戦争を開始しました。自衛のためと言いながら、中国東北を占領し、ありもしない東北独立運動を口実に「満洲国」建国を一方的に宣言しました。中国人民がこのような侵略行為を許すはずはありません。その結果引きおこされたのが、1932915日の遼寧民衆自衛軍による撫順攻撃であり、916日の平頂山事件でした。

 85年前ここで犠牲となられた皆さま、皆さまはなぜ自分が殺されるのかもわからないまま突然生命(いのち)を絶たれました。このうえない不条理なことです。

 日本の中国侵略はその後も続き、80年前の盧溝橋事件を契機に全面的中国侵略が始まりました。日本軍の虐殺と暴行は、南京をはじめ中国全土で繰り広げられることになりました。一方、中国人民の抗日闘争はさらに広く深く展開されるようになり、世界の国々も日本の侵略にきびしい態度をとるようになりました。

 侵略戦争の敗北とそれに対する反省が、戦後日本の出発点でありました。この原点を忘れず、中国と日本の友好と平和を維持発展させていくことが、平頂山で犠牲になられた皆さまへの最良の慰霊であると信じます。

 平頂山事件の幸存者の方々が、日本で裁判をおこされ、その後もこの事件の解決要求を出されてきたのは、日本がしっかりとこの原点にたち、戦争を再びおこさないことを願ってのことでありました。

 最近の日本で歴史の教訓に背くような動向があることは、非常に危険なことであります。しかし、良心ある多くの日本人は平頂山の悲劇を決して忘れていませんし、日本の侵略の再現を決して許しません。ここに永眠されている皆さまが、安心して天国で過ごすことができますように、私たちも共に努力していくことをお誓いして追悼のご挨拶と致します。


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                      《挨拶する井上委員長》



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                            《参列者による献花》



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                          《会場に放たれた鳩の群れ》



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                         《実行委員会の集合写真》




 次回は,9月16日午後に開かれた「第13回 平頂山事件国際学術シンポジウム」についてご報告する予定です。

2017年7月 3日 (月)

第8回 連続講座の報告

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために  ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」

 第8回連続講座が2017年6月12日の午後6時半から,文京区民センター3C号室で開かれました。
 講師は姫田光義先生(中央大学名誉教授)で,演題は「加害と再生の大地・撫順を世界記憶遺産に」と題するものでした。

 私たちが1年にわたって開催してきた今回の連続講座の締めくくりとして,「撫順」という地の「再生」に関わる撫順戦犯管理所のお話でした。

 当日の講演の要旨は以下のとおりです。


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 姫田先生は冒頭「この道」の歌を朗々と熱唱しました。日本が軍国主義の支配で中国侵略に進んでいった道をくりかえさない、という強いメッセージを参加者に与えました。日本軍は中国に日清戦争以来50年侵略を続けています。1894年から1945年までです。

 人類は50万年前から平和を願ってきました。平和を願わない人はいません。しかし、平和には条件があります。孫子の兵法にも「闘わずして勝つ」というのがあります。つまり政治です。19世紀の前半クラウゼッツも戦争は政治だ、と言っています。毛沢東も政治はまつりごと、と言っています。天が地上に幸せをもたらす、これを天命という言い方もあります。天子は天の命令で地上に幸せをもたらす、のです。ダメな天子は首をすげ替えて良い、革命です。中国では「易姓」と言います。「周」の「姫」を秦の「栄」がとってかわりました。天皇には姓がありません。

 平和にしよう、というのは重要な政治の課題です。近隣の国と仲良くできない日本には平和はない、ということです。今の日本では90%の人が「嫌中」です。しかし、そのうちの60%は日中関係は大事と言っています。日本人に欠けているのは「歴史認識」です。しかも「歴史認識」の前に「歴史の事実」を知らないと思います。「捏造・歪曲」して伝えるマスコミがあります。某新聞は官邸の御用新聞になった、ときのうのサンデーモーニングでやっていました。きちんとした知識をもってほしい、ということです。大澤武司「毛沢東の対日戦犯裁判」という本があります。中華人民共和国における戦犯裁判が1950年代にありました。その前、1946年から国民党の蒋介石が裁いた裁判では戦犯として139人が処刑されています。

170612  日本人が加害を知らなくなったと思います。戦前、人が鬼にかわっていくプロセスがあります。人を憎み、蔑み、差別することで侵略戦争につきすすんでいきました。殺人事件があれば被害が一人でも報道されます。しかし、戦争ではたくさんの人が殺されたのに無感覚になってしまうのです。日本の戦争で300万人が死んだといわれますが、そのうち、240万人以上は海外で亡くなっています。さらにそのうち、フィリピンでは50万人が亡くなっています。大半は餓死です。史実を見ないで語る人がいます。南京事件、平頂山事件をウソだという人がいます。かれらのほとんどは現地に行かずにものを言っています。

 人から鬼に、鬼から人に変わっていった中帰連の人びとの歩んだ道を撫順の奇蹟と呼びますが、抽象的な意味ではなく、具体的に中華人民共和国の戦犯裁判がどんなものだったのかを見る必要があります。世界で唯一戦犯管理所がのこっているのは撫順だけです。捕虜収容所は各地にあります。しかし、戦犯管理所はありません。撫順だけです。戦犯を改心させて帰国させた世界で唯一の例です。憎しみと報復の連鎖を断ちきって平和と友好を実現したのです。

 南京事件は193712月におきました。8月の上海上陸以来、食料補給もせず、現地調達の方針で略奪をし続けました。日本軍の捕虜政策は「捕虜の惨殺」でした。戦犯たちは自分たちがやったことを考えれば、自分たちもそうされるだろう、と考えていました。

 中国にはいってきたソ連軍が60万人の日本兵をシベリアに連行しました。8%が死亡しています。しかし、生き残った1,000人だけが中国に移管されました。なぜこの人たちが選ばれたのかはナゾです。くわしくわかっていません。1950年にスターリンと毛沢東の会談で1,000人の中国への移管が決められます。

 戦犯たちは最初反抗したり、抵抗したりします。しかし、管理所職員の暖かい態度に接し、次第に心を開いていきます。

 1956年に全員の帰国が決められます。日本に帰ってきた人たちを待っていたのは「赤帰り」「中国に洗脳された」というレッテルでした。不幸にも戦後の「冷戦」の影響が大きいと思います。中国には「二元論」があります。「悪いのは日本軍国主義で、日本人民は犠牲者である」というものです。

 事実は1,000人の命を救った中国、帰国したあと平和の活動をした元戦犯、という事実です。

 

 このお話のあと、世界記憶遺産にしていくための運動のすすめ方についての議論をしました。

2017年6月26日 (月)

「撫順」から未来を語る 撫順・瀋陽・ソウル6日間

 今年は平頂山事件85周年・中国帰還者連絡会結成60周年にあたります。

 そこでクラウン観光社が6日間の中韓訪問ツアーを企画してくれました。

 今年の9月16日に撫順市主催で開催される「平頂山事件記念式典」と,平頂山記念館及び当実行委員会などが共催する「平頂山事件国際学術シンポジウム」を中心に,撫順戦犯管理所の訪問と交流など盛りだくさんなツアーとなっています。

 それだけではなく,韓国仁川空港経由なので,帰国途中にソウル日本大使館前での「水曜デモ」にも参加することができます。

 未だかつてなかったほどの盛りだくさんの企画となっています。
 興味をお持ちの方は,ぜひご参加ください。


2017年6月 5日 (月)

第7回連続講座の報告

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」

 第7回連続講座が2017年5月16日に,文京区民センターで開かれました。
 講師は井上久士先生(駿河台大学教授)で,演題は「平頂山事件を考える -わかっていること,まだわからないこと-」というものでした。

 
この企画は,昨年来続けてきたこの「連続講座」について,これまで撫順のことを知らなかった多数の参加者に足を運んでいただいてきたことから,原点に回帰して改めて「平頂山事件」と「撫順戦犯管理所」を取り上げることにしたものです。
 今回は,平頂山事件研究の第一人者である井上久士先生から,最新の研究成果に基づく報告が行われました。


Img_1336  井上先生はこの日のために新たにレジュメを用意して,豊富な写真をもとにわかりやすい説明をしてくれました。

 井上先生の業績といえば,平頂山事件実行部隊の責任者である撫順守備隊長・川上精一大尉の不在説が流布される中で,川上精一が確かに撫順にいたことを証明する「撫順新報」号外(『平頂山事件資料集』102頁)や「月刊撫順」(同123頁以下)を発掘したことで知られています。





 さらに井上先生は,平頂山事件のきっかけとなった「遼寧民衆自衛軍」による撫順炭鉱襲撃事件である「撫順事変」について,1933年に奉天新聞社撫順支局が発行した『撫順事變記念寫眞帖』という貴重な写真資料も発掘しました。
 これには,撫順襲撃に参加した「遼寧民衆自衛軍」の兵士の所持品や,住民虐殺のためこれから平頂山に向かおうとする撫順独立守備隊・撫順警察署員らの写真まで残っています。平頂山での虐殺に使われたのではないかと思われる機関銃まで写っていました。

Dsc_0574  この貴重な資料を井上先生は,一昨年2015年9月の「第11回平頂山事件国際学術シンポジウム」で平頂山惨案遺址紀念館に寄贈しています。


 今回の連続講座では,この最新の資料による写真も公開されました。

 平頂山事件について,当時日本国内で言及された出版物として唯一明らかになっているのが,三宅雄二郎・安部磯雄監修による『昭和七年史』(1933年2月)という書物であるという情報も,知らない人が多いのではないかと思います。


 以上のように今回の勉強会は,平頂山事件をより深く理解することのできる非常に充実した内容となっていました。非常に多くの方々が参加して下さり,積極的な質疑応答が展開されていました。

 次回ではいよいよ,「撫順戦犯管理所」を取り上げることになります。
 

2017年6月 2日 (金)

第8回 連続講座のお知らせ

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」


 第8回連続講座のお知らせです。
テーマ 「加害と再生の大地・撫順を世界記憶遺産に」
日時  :2017年6月12日(月曜) 18時30分~20時30分
会場  :文京区民センター 3階3C号室
講師  :姫田光義先生(中央大学名誉教授)
       資料代500円



 昨年からこれまで続けてきたこの連続講座も,この8回目で一区切りを迎えます。
 私たち実行委員会の活動の終着駅ともいうべきこの「撫順」を取り上げます。


 平頂山事件による住民虐殺があった地であるこの撫順に,戦後に「撫順戦犯管理所」が設置され日本人戦犯が収容されます。中国側はこの管理所で戦犯たちを人として扱う人道的な態度を続け,そのことによって日本人戦犯らは人間としての心を取り戻し,自分たちの犯した残虐行為に正面から向き合うことができました。

 日本人戦犯たちは日本に帰国後,「中国帰還者連絡会」を結成して,自分たちの犯した罪を広く知らしめようと活動を始めます。私たち実行委員会の構成団体の一つである「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」は,この「中国帰還者連絡会」の後継団体として結成されたものです。

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 連続講座では,前回の平頂山事件に続けて,今度はこの「加害と再生の大地」である撫順を取り上げます。講師は,「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の代表である姫田光義・中央大学名誉教授です。


 私たちが「撫順から未来を語る実行委員会」と称している原点にさかのぼる講座です。ぜひご参加下さい。

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2017年5月31日 (水)

「2017平和のための戦争展 in よこはま」のお知らせ

2017平和のための戦争展 in よこはま」のお知らせ

529日・横浜大空襲から72

 

 横浜大空襲の記憶を留めていくため、横浜市で毎年、戦争全般に関する講演とパネル展示が開催されています。

 平頂山事件についても、『中国に万人坑を訪ねる』の展示の一環として、今年から初めてパネルを展示します。

 

日時  6月2日(金)~6月4日(日)

場所  横浜駅西口 かながわ県民センター 1階展示場

入場無料

 

 なお、6月3日、4日の両日、2階ホールにて、講演・朗読劇・被災者証言等も行われていますので併せてご参加ください。

 講演は、俳優の高橋 長英さん、作家の山崎洋子さん、神奈川新聞の斉藤大起さんが予定されています。

 これは、当実行委員会の企画ではありませんので念のためご了承下さい。

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2017年5月17日 (水)

坂本博之弁護士講演『平頂山事件をご存知ですか』

 平頂山事件訴訟弁護団の坂本博之弁護士が,牛久市で平頂山事件に関する講演を行います。

日時   5月21日(日曜)午後2時~

場所   牛久市中央生涯学習センター 2階
      029-871-2301
      入場無料

講演   坂本博之弁護士 『平頂山事件をご存知ですか』



 この日に開催される日中友好協会茨城県南支部の総会での講演の一つです。
 当実行委員会が主催する講演ではありませんが,興味のある方は,足をお運び下さい。


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2017年4月 8日 (土)

第7回連続講座のお知らせ

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」


 第7回連続講座のお知らせです。
テーマ 「平頂山事件を考える」
日時  :2017年5月16日(火曜) 18時30分~20時30分
会場  :文京区民センター 3階3C号室
講師  :井上久士先生(駿河台大学教授)
       資料代500円



 昨年からこれまで,連続講座を6回続けて開催してきました。企画が「日本が再び『戦前』にならないために ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」との視点によるもので,これまで平頂山事件のことをご存じなかった方々にも多数のご参加をいただいてきました。
 そのため,肝心の「平頂山事件」と「撫順戦犯管理所」のことをもっと話してほしいというご要望を何度かいただいてきました。
 そこで今回と次回の企画では,原点回帰してまず「平頂山事件」そのものについて取り上げます。講師は,平頂山事件研究の第一人者である井上久士先生です。


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 井上久士先生は,平頂山事件訴訟弁護団の川上詩朗弁護士とともに,『平頂山事件資料集』(柏書房)を編集しています。




 今回の講座は,再び文京区民センターに戻ります。
 参加者が多くなってきましたので,今度は今までより広い部屋を押さえて,マイクもきちんと確保しました。そのため快適にお話を聞けると思います。アクセスも良好です。













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第6回連続講座の報告

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」


 第6回連続講座が2017年4月3日から,月島区民館で開かれました。
 講師は堀尾輝久先生(東京大学名誉教授),演題は「教育の視点から ~戦前の教育と戦争」でした。

 先生からは,「いま憲法と教育について考えること」と,「軍国少年から平和主義者へのながい道」という2つのレジュメが配られました。

 当日の講演の要旨は以下のとおりです。


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 現在の状況はたいへん危険になっています。1920年代の後半から1930年代にかけて、大正デモクラシーがファシズムにすすんでいく時代に似ています。

 安倍政権が改憲にすすんでいく前に第一次安倍内閣の時に教育基本法を変えました。これは法改正というのではなく、47年教育基本法を廃止して、新教育基本法をつくったというものです。日本国憲法がもっている人間観、未来社会への展望、世界史の中での日本国憲法を無視しています。近代教育とは何かを考えてみたいと思います。

Photo_2  さいきん学習指導要領の改訂が発表され、道徳が教科化され、銃剣道が中学体育にとりあげられることになりました。戦前の大正デモクラシーの中でファシズムが生まれてくる状況と似てきています。

 1923年関東大震災の時、国民精神作為に関する詔勅が出されます。臣民教育が公民教育とされます。公民という言葉はくせものです。公民は皇国民ということです。人権への感覚をにぶらせ、主権者意識をゆがめて公民と称したのです。第一次大戦後の軍縮時代、陸軍と文部省の連携があります。中学校への軍人を配属するのでする1933年には24事件という教師弾圧事件がおこります。貧困な子どもと向き合っていた生活綴り方教師が弾圧されます。

 1935年に天皇機関説が出され、これが弾圧の対象となります。陸軍が中心となって国民善導をすすめます。私自身の経験では、小学2年の担任は音楽に非常に熱心な方でした。音楽は軍需品と発言した海軍大佐もいました。歌で国民意識を高揚しようとしたのです。美術も戦意高揚に利用されました。“若い血潮の予科練の・・・”という歌詞は学校では習いませんでしたが、世の中の状況の中で自然に広がっていったのです。社会教育が大きな役割を担います。教科書の変化もありますが、どういう雰囲気をつくっていくか、社会意識の形成という問題があります。今の状況でいうと教育勅語を教材として使う、という閣議決定をしました。戦前、軍国主義をおしつけられた、といいますが、押しつけたと言わすに「善導」だといっていたのです。民衆は家族環境などの中で、積極的に受け入れていったのです。

 空襲がはげしくなって、枕元に教科書を置いていました。空襲のと機にもって逃げるのです。それだけ大事でしたが、敗戦後ねこれに墨を塗りました。教育勅語が中心の修身も廃止されました。

 新しい憲法が制定されました。占領軍のおしつけだ、という議論がありますが、戦争放棄は幣原喜重郎の発案だということがわかってきました。自民党は1955年に結党しますが、当時から自主憲法制定が党是となっています。これを国民はずっと阻止してきました。9条の精神を世界に広げましょう

2017年3月15日 (水)

最後の幸存者・楊玉芬さん逝去

 平頂山事件の最後の幸存者として知られていた楊玉芬さんが逝去されました。

 楊玉芬さんは1924年12月生まれで,1932年9月16日の平頂山事件の際には満7歳でした。楊玉芬さんはお父さんの楊占有さんとともに事件を生き延びました。

 弁護団と初めて出会ったのが2005年4月のことで,この当時は階段を駆け上がるほどお元気な様子でした。

 その後の2010年10月には来日して,月島社会教育会館で被害体験について証言しています。さらに民主党政権下の横路孝弘衆議院議長にも面談していました。

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 実行委員会と弁護団は,訪中するたびに楊玉芬さんにもお目にかかってきましたが,昨年9月にお会いしたのが最後の機会となりました。

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 本年3月14日午前5時15分に亡くなられたとのことです。平頂山記念館の周学良館長からご連絡をいただきました。

 享年92歳でした。

 心よりお悔やみ申し上げます。



 以下は,当実行委員会と弁護団が中国側にお送りした弔文です。


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 楊玉芬さんの突然の訃報に接して,私たちの心は,驚きとともに,悲しみの気持ちで一杯です。

楊玉芬さんは,1932年に日本軍によって引き起こされた平頂山事件の幸存者であり,事件の語り部でした。私たちは,日本国政府に対し,平頂山事件の事実を認めさせ,真の謝罪を求め続けてきた弁護団として,楊玉芬さんと長い間親交を深めてきました。楊玉芬さんと出会い,教えられたことの全ては,私たちにとって,かけがえのない財産です。

私たちはこれからも,楊玉芬さんの遺志を引き継いで,平頂山事件の真実を後世に伝え,日本と中国の将来へ向けた,真の友好関係を築いてゆく決意です。

 私たちは永遠に,楊玉芬さんのことを忘れません。

どうぞやすらかにお眠りください。

2017年3月14日

 「撫順」から未来を語る実行委員会

 平頂山事件訴訟弁護団

第5回連続講座の報告

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」

 第5回連続講座が2017年2月13日(月曜)に,文京区民センターで行われました。
 講師は一橋大学教授の吉田裕先生でした。
 講演テーマは,「歴史の視点から ~大正デモクラシーと戦争」というものです。


 この連続講座が好評だったため,数多くの聴衆の方に足を運んでいただき,誠にありがとうございました。
 同時に,会場が非常に手狭になり資料が不足するなど,たいへんご迷惑をおかけしてしまったことについてお詫び申し上げます。

 以下,講演内容の概要報告です。


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 明治憲法は天皇にすべての権限が集中していました。内閣の中に軍隊がありました。しかし、参謀本部は内閣の外にあったのです。参謀本部の作戦司令官は天皇に直属していました。

 統帥権の独立もありました。天皇の大権は議会の同意を得ずに行使することができます。国務大臣は天皇を補佐することになっていましたが、天皇は別に陸海軍を統帥することになっていました。参謀総長がこの補佐をするのです。さらにこの参謀本部と関東軍や連合艦隊などの「現地軍」との関係でいうと、参謀総長は直接現地軍に指揮・命令できないのです。現地軍は直接天皇の命令下にはいります。海軍は大海令、陸軍は大陸令というのがありました。194111月5日の大海令で、12月初旬に対米開戦を連合艦隊司令官に伝えるのです。内閣や参謀本部が直接現地軍に命令できないしくみになっていたのです。

Photo_2  さらに、明治憲法は国家機関が分立しているのが特徴です。各国務大臣は所管の事項について直接天皇を補佐する、となっていて、首相が直接各大臣に命令できないしくみになっていました。首相の権限が弱いのです。なぜこのようになっていたかというと国家機関を対立させるためです。衆議院と貴族院があったことも天皇大権の空洞化を恐れたためでした。

 軍の暴走をとめられなかったのは、臨時軍事費の問題もあります。この臨時軍事費は一般会計と別になっていました。臨時軍事費はこまかい内容は明らかにされませんでした。海軍・陸軍・その他の項目があるだけでした。その中身はまったくあきらかにされていません。会計検査院の決算は審議なしで通過するのです。

 1914年から1918年の第一次大戦の時の臨時軍事費として予算化されたものは、その後のシベリア出兵にまで使われます。1925年まで続いた北樺太占領にも使われます。1919年の三一独立干渉にも使われます。戦費として計上されたものを植民地に使うのです。日中戦争の戦費を対ソ戦、対米戦の準備に拡張して転用します。日中戦争の間に対米戦を準備していたわけです。

 統帥権の問題ですが、法律は議会の同意がなければなりませんが、勅令は議会にかけなくてよいものでした。その勅令の中に軍令というのがあります。作戦にかかわるものなど軍事にかかわる勅令です。

 軍縮が実現してくると臨時軍事費も議会の批判をうけるようになりました。「第一次大戦の臨時軍事費をなぜシベリア出兵に使うのか」「機密費の内容を明らかにしろ」などの質問がでるようになります。

 明治憲法は発布の際に勅令が出ます。不磨の大典(永久に続く法典)となっています。だから改正する時も勅令でおこなう、となっているのです。憲法に瑕疵はない、ということです。神聖化されるのです。

 陸海軍大臣はすべて現役の将軍でなければならない、ということになっていました。閣内に必ず2人の軍人がいるのです。内閣で軍のことをなんと呼んでいたか、というと、大正期には「わが国軍」でしたが、満州事変以降は「皇軍」となります。

 民衆と地域を考えます。第一次大戦は総力戦と表現されました。国家のすべて(人的、経済・資源)を捧げるということです。世界的には、第一次大戦は悲惨な惨禍であり、戦争の違法化がすすみます。パリの講和条約やこれによってつくられた国際連盟の規約にも不戦が書かれます。1928年には不戦条約も結ばれます。日本はこの戦争に無理矢理参戦し、青島や南洋に出撃しますが、悲惨な体験はありません。第一次大戦で日本は五大国になりましたが、国民の文化にはあまり大きな影響はありませんでした。世界から火事場泥棒といわれたのです。日本は大戦の受益者でした。戦争はペイすることを学びました。

 軍縮で4個師団が廃止されると配属将校を学校に配置して、学校教練をはじめます。士官学校もつくり、中学校で軍事教練をやって高学歴の兵士を養成し、若い将校を育成していきます。地域の青年団もこれに組み込まれます。大手のマスコミがこれに拍車をかけます。

 それが、これらの戦時システムを戦後根本的な転換があります。日本国憲法です。システムには根本転換がありましたが、意識や歴史認識はどうだったでしょうか。戦後70年安倍談話や21世紀懇談会をみてみると、どうでしょうか。

2017年3月 8日 (水)

第6回連続講座のお知らせ

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」


 第6回連続講座のお知らせです。
 2017年の第二弾の企画となります。
テーマ 「教育の視点から ~戦前の教育と戦争」
日時  :2017年4月3日(月曜) 18時30分~20時30分
会場  :月島区民館
講師  :堀尾輝久先生(東京大学名誉教授)
       資料代500円

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 堀尾先生は教育学・教育思想史の専門家で,教育学に関する多数の書籍を著しておられます。
 侵略戦争に国民を駆り立てていくためには,国民教育は欠かせない前提でした。この国を再び戦前の時代にしないためには,教育の観点からの検証が不可欠です。
 堀尾先生は,このテーマに相応しい講師だと言えます。




 今回の会場は「月島区民館」となります。これまでの「文京区民センター」とは場所が異なりますので十分ご注意下さい。












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2016年12月27日 (火)

第5回連続講座のお知らせ

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」



 第5回連続講座のお知らせです。
 2017年最初の企画は次のとおりです。



テーマ 「歴史の視点から ~大正デモクラシーと戦争」
日時  :2017年2月13日(月曜) 18時30分~
会場  :文京区民センター
講師  吉田裕先生(一橋大学教授)
       資料代500円




Photo_4  今回は,歴史学の視点から平頂山事件までの時代と現在の時代とを比較します。担当は,一橋大学の吉田裕先生です。


 吉田先生は日本近代史を専攻とする我が国でも代表的な研究者です。歴史学の研究者こそ,現在の時代とかつての時代との危険な類似性について警鐘を鳴らすことができるのではないでしょうか。
 今回は,大正デモクラシーから中国侵略戦争に至るまでの経緯を,あらためて振り返りながら検証していただきます。









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坂本博之弁護士講演のご報告

 平頂山事件訴訟弁護団の坂本博之弁護士による,地元・つくば市での講演会が,12月8日につくば市並木交流センターで開かれました。

 演題は,


     「平頂山事件と現代の日本」


です。
 主催は「12.8 不戦のつどい」実行委員会さんでした。

 当日は40名ほどの来場者があり,平頂山記念館を訪問したことのある方も来ていただいていたということです。


 集会の様子を,地元の常陽新聞が報道してくれました。その記事を掲載しますので参考にしてください。

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2016年11月29日 (火)

 平頂山事件訴訟弁護団の川上詩朗弁護士が,東京でこれまで実施してきた


 「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために


        ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」

の内容をまとめた講演会を大阪で開催します。合わせてパネル展も実施します。

 12月4日と直近の企画ですが,これを機会にぜひお出掛け下さい。

 主催者は下記のとおり「撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部」ですので,ご連絡は主催者宛にお願いいたします。

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第2回「平頂山事件」を学び平和を考える 講演会 & パネル展のご案内です。

昨年秋に関西初開催の際は、川上弁護士の盛りだくさんの講演で大好評でした。

もっとお話を聴きたいご要望にお応えし、第2回を企画しました。

パネル展示はじっくりと見学して頂けるよう今年はギャラリースペースで

2日間展示いたします。師走の週末、是非ご来場くださいませ。

 

第2回「平頂山事件」を学び平和を考える 講演会 & パネル展

 

 平頂山事件とは、1932年9月16日、中国東北部の撫順市近郊にある平頂山集落において発生した、撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順独立守備隊による住民虐殺事件です。
 
 当時、中国東北部では、柳条湖事件(1931年9月18日)に端を発した関東軍の占領に対し、抗日運動が激しくなっていました。そんな中、日本が占領していた撫順炭鉱が抗日ゲリラに襲撃される事件が起き、日本軍は住民がゲリラと通じていると決めつけ、報復のために、平頂山の住民の皆殺しを図ったものでした。
 
一般にはほとんど知られていない、その後の日本軍の残虐行為を先行する位置づけにあるともいえるこの事件について、広く知っていただくと共に、平頂山事件訴訟弁護団員を務められた川上詩朗さんを今回も講師にお迎えし、事件の概要とこれまでの取り組みのご紹介とともに、撫順から未来を語る実行委員主催の今年の連続講座「日本が再び『戦前』にならないために~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」を通じての考察等をお話いただきます。是非、ご参加下さい。

 

■パネル展示:総合生涯学習センター ギャラリーA ※見学無料

12月3日(土)12:00~19:00

12月4日(日) 9:30~16:30

 

■講演会:総合生涯学習センター 第1研修室(ホール) 

12月4日(日)13:30~16:30

 

■総合生涯学習センター 

大阪市北区梅田1-2-2-500 大阪駅前第2ビル5

【地下鉄】御堂筋線・梅田/四つ橋線・西梅田/谷町線・東梅田

JR】大阪駅/東西線・北新地駅

【私鉄】阪神電車・梅田/阪急電車・梅田【TEL06-6345-5000

 

講演: 日本が再び『戦前』にならないために

      ~平頂山事件を通して過去・現在・未来の社会を考える~

講師:川上詩朗さん

1958年北海道生まれ。中国人戦争被害者訴訟弁護団・平頂山事件、中国人「慰安婦」訴訟弁護団員。日本軍「慰安婦」問題オール連帯ネットワーク事務局長。吉見義明中央大学教授名誉毀損訴訟弁護団(事務局長)。雑誌「中帰連」編集委員。主な著作として「平頂山事件とは何だったのか」(高文研・共著)、「平頂山事件資料集」(柏書房・共著)、「法廷で裁かれる 日本の戦争責任」(高文研・共著)など。

 

質疑応答の時間もございます。

 

■参加資料代:1,000円 高校生以下無料

■主催:撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部

■問い合わせ先:撫順の奇蹟を受け継ぐ会 関西支部事務局

& 📠:06-6324-2439

uketugu@kansai.email.ne.jp

2016年11月22日 (火)

第5回連続講座の予告

 「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」

 今回は,第5回連続講座の予告です。速報です。

 テーマ :「歴史の視点から ~ 大正デモクラシーと戦争」(仮題)
 日時 :2017年2月13日(月曜)午後6時30分~
 場所 :文京区民センター(予定)
 講師 :吉田裕先生(一橋大学教授)
 資料代 :500円

 開催場所等,正式に決定したらお知らせいたします。
 年度内に,第6回(最終回)の講座を予定しています。

坂本博之弁護士講演『平頂山事件と現代の日本』

 平頂山事件訴訟弁護団の団員である坂本博之弁護士が,地元・つくば市で講演会を行います。

 「12.8 不戦のつどい」

 講師  坂本博之弁護士
 演題 「平頂山事件と現代の日本」
 日付 :2016年12月8日(木曜)
 時間 :午後6時15分~8時30分
 場所 :つくば市並木交流センター2階大会議室
 資料代 :500円

 主催  :「12.8 不戦のつどい」実行委員会
 問い合わせ先 029-861-7320 (学研労協)
 参加団体 :新日本婦人の会つくば支部,つくば市母親連絡会,
 憲法9条の会つくば,つくば市平和委員会,戦争を語りつぐ女性の会,
   新しいつくばを創る市民の会,研究学園都市研究所・大学9条の会,
   学研労協,筑波研究学園都市平和委員会,
   原水爆禁止学園実行委員会


 当実行委員会が参加する催しではありませんが,お近くの方はぜひ足をお運びください。

 坂本弁護士は,弁護団内部でも非常に個性的で印象的な視点から鋭い指摘を繰り出す方であり,話が面白いことは折り紙付きです。これを聞き逃せば後悔することになるでしょう。

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https://www.facebook.com/%EF%BC%91%EF%BC%92%EF%BC%98%E4%B8%8D%E6%88%A6%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%A9%E3%81%84%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-420653021331390/


https://peacetsukuba.wordpress.com/category/%EF%BC%91%EF%BC%92-%EF%BC%98-%E4%B8%8D%E6%88%A6%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%A9%E3%81%84/

第4回連続講座の報告

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」

 2016年11月14日(月曜)に,文京区民センターにて第4回の連続講座が開かれました。講師は朝日新聞編集委員の上丸洋一先生でした。


 今回の課題は,

 「マスコミの視点から ~ 新聞と戦争」

というものでした。
 総力戦である第2次世界大戦で,国民を侵略戦争に動員するために必須のツールであった新聞が,どのように戦争に巻き込まれ,やがて協力していったのかを振りかえるものでした。


 上丸先生の冒頭の発言は,

 「新聞で大事なのは,『何を伝えているか』ではなく『何を伝えていないか』だ」

との指摘がありました。
 そして11月4日の衆議院でのTPP強行採決について,読売新聞が見出しからも写真からさえも「強行採決」の文字を排除していた例を挙げて,「戦時報道でもこれは同じだった」との指摘がなされました。



 実は,平頂山事件(1932年9月16日)の直前まで,朝日新聞は軍部の独走を批判していました。


 1930年4月のロンドン海軍条約で,保有艦船を制限する条約を若槻礼次郎が調印したことについて,軍部は統帥権の侵害であると政府を批判していました。
 これに対して朝日新聞は,

 「国防のことを決するのは立憲政治にあっては内閣の責務」
 「立憲の常道に基づいて堂々と主張され,検討さるべき」

との正論を主張しています。


Img_4749 ところが1931年9月18日に,関東軍と石原莞爾が謀略により満州事変(柳条湖事件)を引き起こすと,主張が一変してしまうのです。
 これを契機に,朝鮮に駐留する日本軍(朝鮮軍)が中国東北部に独断越境するという問題がありました。
 当時,朝鮮は「国内」でしたが中国は「外国」であり,外国に兵を出すのであれば,統帥権者
である天皇の裁可を要するべきなのに,朝鮮軍は独断で越境してしまったのです。






 このときの朝日新聞の主張は,

 「事実において陸軍が動いた以上は,それは帝国陸軍が動いたのである」
 「軍部と
政府とのあいだに齟齬があり疎隔があるかの如き印象を内外に与ふることはもっとも避くべき」

として,軍部の独走を追認してしまいました。わずか1年前の論調と180度違ってしまったのです


 しかもこのころ新聞記者らは,実際には満州事変が関東軍による謀略であることを知っていました。新聞ではなく雑誌などでは,新聞記者も軍部の独断専行を批判していたのです。


 けれども新聞紙上では,事実追認・強硬論一色になってしまった。なぜだったのか。

 上丸先生はこのことについて,右翼や軍部からの圧力,政府による言論統制,沸騰するナショナリズムに引きずられたことなどを指摘
しています。
 「軍部」を除けばあとは,この間の朝日新聞バッシング後の現在の世論と同じではないかと恐怖を感じました。

 上丸先生は,「新聞は戦後から再出発した。新聞の責務は二度と戦争を起こさないことだ」と力強く語ってくれました。
 この逆風の世の中で,新聞とともに私たちも抵抗しなければと考えさせられました。

2016年11月 7日 (月)

第4回連続講座のお知らせ

 「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」

 第4回連続講座のお知らせです。
 今年最後の企画は次のとおりです。

テーマ 「メディアの視点から ~新聞と戦争」
日時  :2016年11月14日(月曜) 18時30分~
会場  :文京区民センター3D
講師  上丸洋一先生(朝日新聞編集委員)
     資料代500円

 近代における総力戦争であった日中戦争・太平洋戦争を日本が遂行していくためには,国民の大量動員が必要不可欠でした。そうした中で,メディアは戦争協力を推し進め,国民を侵略戦争に駆り立てていきます。
 新聞がどのように戦争に協力していったのか,それによってどのように国民が動員されていったのか,戦前のこうした動きについて詳しい朝日新聞編集委員の上丸洋一先生からお話をうかがいます。


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 『論座』の編集長を務めたあと編集委員となった上丸先生は,『新聞と憲法9条 「自衛」という難題』(朝日新聞出版)の著者でもあり,この問題についての適任者だといえると思います。

 上丸先生は,前回の吉見先生の講座にも足を運んで下さいました。満を持しての上丸先生の登場にご期待ください。

第3回連続講座の報告

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために

 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」

 2016年10月17日(月曜)に,文京区民センターにて第3回の連続講座が開かれました。講師は中央大学教授の吉見義明先生です。

 今回の課題は,
 「庶民の視点から ~ 戦前の民衆生活と戦争」
というものでした。

 いわゆる「従軍慰安婦」問題の第一人者として著名な吉見先生ですが,他方で民衆の戦争体験を研究テーマのひとつにされており,2014年には
 「焼け跡からのデモクラシー」(上下巻)
という書籍も発行しています(岩波書店)。


 今回は会場の席がすべて埋まってしまうほど大勢の方が参加してくださいました。本当にありがとうございます。

Img_1221  吉見先生は,山形県の小作農・阿部太一という人の日記や,福井県の自作農・山本武という人の従軍記録,それに飛行機工場に動員された青木祥子という女生徒の日記などから,普通の庶民がこの戦争の時代にどのように翻弄され,あるいは時代を認識していたかについてお話をして下さいました。
 いずれも,どちらかというとかなり冷静に時代を観察していた人たちだったようです。それぞれが状況に対して批判的な視点をもちつつも,自分たちのおかれた状況と折り合いを付けなければならなかった様子がうかがえました。


 個人的には,日清戦争・日露戦争と日本は戦争に勝ち続けてきていたので,そもそも一般の庶民に「戦争に反対する」という視点はなかったというご指摘が興味深いと思いました。敗戦という痛切な失敗から再出発した戦後とはまったく違ったのです。


 当時の時代状況は,日本の満州への権益は生命線だというものでした。それに異を唱えていた少数の知識人が,吉野作造や石橋湛山でした。そして敗戦によってそれが崩壊しても,実際には日本は戦後に経済成長を遂げることもできたのです。

 果たして,現在絶対的に必要なものと思われている日米同盟をはじめとする世界秩序も,本当に必須のものといえるのかどうかを改めて考えてもいいのではないかとする吉見先生のお話には,多くの参考とすべきところがあるのではないかと感じました。

2016年9月 9日 (金)

第3回連続講座のお知らせ

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために
  ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」

 
第3回連続講座のお知らせです。
 今度の企画はこれです。


 テーマ :「庶民の視点から ~戦前の庶民生活と戦争」
 日時 :2016年10月17日(月曜) 18時30分~
 会場 :文京区民センター3D
 講師 :吉見義明先生(中央大学教授)
   資料代500円

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 我が国における「従軍慰安婦問題」の権威として著名な吉見先生ですが,実は「民衆の戦争体験」をテーマとした研究が専門分野の一つでもあります。2014年には『焼け跡からのデモクラシー』上下巻を岩波現代全書として刊行されています。


 このような民衆の戦争体験を研究してきた観点から,庶民がどのように戦争に巻き込まれこれを支持するようになっていたのかについて,吉見先生のお話を伺います。




 これまた,本講座でなければ実現できない豪華な学習会となっています。奮ってご参加ください。
 なお,1回目2回目とは会場が異なり,今度は「文京区民センター」になりますのでお間違えなく。

http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754

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第2回連続講座の報告

「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために
  ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」

 2016年8月22日月曜に,日比谷図書文化会館にて第2回目の連続講座が行われました。講師は東京大学教授の石田勇治先生です。

 今回の課題は,
 「ナチ・ドイツと民主主義  なぜ文明国にヒトラー独裁政権が誕生したのか?」
と題するものでした。


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   石田先生のご専門は「ドイツ現代史・ジェノサイド研究」であり,講談社現代新書から『ヒトラーとナチ・ドイツ』を昨年出版されたばかりでもありますから,このテーマでは現在考え得る最高の講師であったと言えると思います。
 石田先生はこの講座のためにわざわざレジュメ・資料とスライドまで用意して下さり,ヒトラー独裁をまねいた経過についてとてもわかりやすく立体的に説明して下さいました。
 民主的といわれていたヴァイマル(ワイマール)憲法には「大統領緊急令」という抜け穴がありました。
 選挙で選ばれた大統領には,「公共の安全および秩序に著しい障害」が生じる恐れのあるときに,「必要な措置」をとることができるとの規定があったのです。これが「大統領緊急令」であり,法律と同じ効力があるとされていました。

 そのため議会が空洞化し,大統領に選任される首相が,自分に都合のいい緊急令を出せるようになってしまったのです。

 その後,ヒンデンブルク大統領から首相に選任されたヒトラーも,この緊急令を利用して言論を統制し,ナチの突撃隊や親衛隊を「補助警察」として格上げすることで暴力装置を手に入れ,最後には国会で「全権委任法」(授権法)を成立させてすべての権限を獲得してしまうのでした。

 まさに,どこかの党の「憲法草案」での緊急事態条項が成立したらどういう危険があるかを,そのまま示唆するかのような内容でした。
 石田先生の『ヒトラーとナチ・ドイツ』にも記載のないような資料とお話しが盛りだくさんで,大変勉強になった学習会でした。

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2016年6月 8日 (水)

連続講座のお知らせ

 撫順未来実行委員会では,「日本国憲法発布70周年記念」として,

 [日本が再び『戦前』にならないために
 ~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~]
という連続講座を開催します。

 日中戦争は1937年から,太平洋戦争は1941年からでしたが,平頂山事件の勃発はそれ以前の1932(昭和7)年のことでした。この時期に日本は本格的な中国侵略を開始しており,その初期に起こされた象徴的事件が平頂山事件です。
 現在,この国が再度の「戦前」となろうとしている状況で,「大正デモクラシー」など多少は自由主義的な雰囲気もあった社会が,どのようにして中国侵略に突き進んでいったのかを改めて整理することには,重要な意義があるのではないかと思います。
 その整理にあたっては、歴史的観点はもちろん,大日本帝国憲法がどのようにして権力の暴走をもたらしたのかという法的観点,日本社会の文化や教育がどのように侵略に加担していったのかという文化・教育的観点,そこに報道機関がどのように加担するまでに至ったのかとのマスコミ史の問題,庶民の認識や感情はどう変化していったのかといった庶民史の観点,さらにこうした変化をドイツの暴走と比較検証するという国際的観点など,多様な視点から検証したいと思います。

 第1回は,憲法学の権威である杉原泰雄先生(一橋大学名誉教授)をお招きして,憲法の観点から「平頂山事件に至るまでの時代」と「今の時代」を比較します。
  •  演題  :「憲法の視点から ~大日本帝国憲法と立憲主義」
  •  日時  :2016年6月29日(水) 午後6時半~
  •  場所  :日比谷図書館文化館小ホール(4階)
  •  講師  :杉原泰雄先生(一橋大学名誉教授)
  •  資料代  :500円
 今の時代と平頂山事件に至るまでの時代を考察するのに,まさにタイムリーな企画です。ぜひ足をお運び下さい。

 今後の講座予定は次のとおり。日付は確定ですが,時間と場所は正式決定したら順次お知らせします。いずれも資料代をいただく予定です。
  •  「国際的視点から ~ナチスドイツと民主主義」
  •  講師  :石田勇治先生(東京大学教授)
  •  8月22日(月)夕刻
  •  「庶民の視点から ~戦前の庶民生活と戦争」
  •  講師 :吉見義明先生(中央大学教授)
  •  10月17日(月)夕刻
  •  「メディアの視点から ~新聞と戦争」
  •  講師  :上丸洋一先生(朝日新聞編集委員)
  •  11月14日(月)夕刻
 それぞれ各界の第一人者の先生に講師を依頼しています。少人数の講座ながら,これだけ豪華な講師陣を揃えられるのは,当実行委員会ならではだと自負しています。
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 さらに現在交渉・日程調整中の企画は次のとおりです。決定次第公表していきますので,お楽しみに。
  •  「歴史の視点から ~大正デモクラシーと戦争」
  •  講師 :歴史学者に鋭意交渉中
  •  2017年2月予定
  •  「教育の視点から ~教育と戦争」
  •  講師 :教育学者に鋭意交渉中
  •  2017年4月予定
 主催 撫順から未来を語る実行委員会
 連絡先 representative@heichouzan.com
 

2016年1月23日 (土)

平頂山紀念館の周学良館長が来日されました

 平頂山紀念館の周学良館長が,東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)のご招待で,2015年11月に来日されました。
 JR東労組のご厚意により,私たち「撫順未来実行委員会」は11月3日の一日を,周館長とともに過ごすことができました。
 当日は,撫順市文物広播電影電視局の崔建軍副局長も同行されました。

 実行委員会では,周学良館長と崔建軍副局長を浅草にお連れし,クルーズ船でお台場に移動してから渋谷で買物をして,最後は四ッ谷で大歓迎会を開催しました。

 歓迎会には実行委員会のほか,「日中友好協会」・「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」・「再生の大地合唱団」や「平頂山事件弁護団」などが参加して,日本での周館長との再会をお祝いしました。

 普段は撫順で私たちの方が周館長のお世話になってばかりでしたので,少しは恩返しができたのなら幸いでした。

 また,貴重な機会を提供して下さったJR東労組のみなさまに,改めて深く御礼申し上げます。

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〔浅草寺前での周学良館長(左)と崔建軍副局長(中)〕

東京新聞記事に平頂山事件が取りあげられました

 2015年10月1日の「東京新聞」の特集「問い直す戦争70年目の視点」で,平頂山事件が取りあげられました。

 記事は,『「撫順」から未来を語る実行委員会』の代表である井上久士・駿河台大学教授が1面から登場し,9面の全面も使って平頂山事件について詳しく解説されました。
 平頂山事件訴訟で原告となった莫徳勝さん・楊宝山さん・方素栄さん(いずれも故人)の写真も掲載されました。
 このたび,東京新聞さんのご厚意によって,記事を本サイトで紹介することのお許しをいただきましたので,掲載させていただきます。
〔1面記事〕
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〔9面記事〕_151001web_2

2015年7月 9日 (木)

方素栄さんが亡くなりました

 平頂山事件訴訟の3人の原告のうち最後のお一人だった方素栄さんが亡くなりました。

 2015年7月3日午前5時半に息を引き取られたとのことです。享年87歳でした。
 たいへん残念なことです。
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 平頂山惨案遺址紀念館の周学良館長が,方さんがお住まいだった昆明に飛んで葬儀に出席してくれました。
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 撫順未来実行委員会と平頂山事件訴訟弁護団連名の弔文は下記のとおりです。
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方素栄さんがお亡くなりになったとの急報に接し,驚愕するとともに,底知れぬ悲しみに突き落とされています。

私たちは,方素栄さんが,平頂山事件幸存者のお一人として,日本軍国主義を批判するとともに,真の日中平和を求めるその気高い姿勢に,心から尊敬の念を抱いてきました。

今年の1月には元気なお顔を拝見し,再会を楽しみにしていましたが,それもかなわぬこととなってしまいました。

これまで方素栄さんを見守ってきたご家族の皆さまのことを思うと,さらに断腸の思いを禁じ得ません。

方素栄さんが安らかにお眠りになることを祈って,平頂山事件弁護団及び「撫順」から未来を語る実行委員会一同,心から哀悼の意を表します。

 

2015年7月3日

 

平頂山事件弁護団    「撫順」から未来を語る実行委員会

環直彌            代表 井上久士

高和直司

泉澤章

大江京子

川上詩朗

坂本博之

穂積剛

山田勝彦

2015年6月13日 (土)

平頂山事件報告集ができました

 平頂山事件訴訟は2006年5月、最高裁判所で敗訴しました。
 私たち「『撫順』から未来を語る実行委員会」と「平頂山事件訴訟弁護団」は、その後も中国の市民と協力して、平頂山事件の解決のために活動を続けてきました。
 そして今回、2006年から2015年まで約10年にわたる、日中市民の活動の軌跡の一部を、報告集としてまとめさせていただきました。

 『平頂山事件 1932~2015』

 平頂山事件の紹介、解決に向けた日中市民の取り組み、そして加害者たる日本と被害者たる中国との真の「歴史和解」の実現に向けた私たちの活動を紹介させていただいています。

 第1部 平頂山事件とは何か
 第2部 平頂山事件の解決に向けた日中市民の取り組み―2006年~
 第3部 2015年 戦後70周年 日中の「歴史和解」の実現に向けて
  A4サイズ・フルカラー・全70頁
  1冊400円(送料別164円)

 各イベント等で発売しているほか、ご連絡いただければ郵送にて頒布します。
 下記アドレスにお申し込み下さい。
 申込先アドレス representative@heichouzan.com


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2014年11月14日 (金)

撫順未来実行委員会のブログを作成しました

 「『撫順』から未来を語る実行委員会」(撫順未来実行委員会)が,今回新たにブログを開設しました。本体である「平頂山事件資料館」(http://heichouzan.com/)の情報提供サイトとして,みなさんに様々な情報をお知らせしていきたいと思います。
 よろしくお願いいたします。