「『撫順』から未来を語る 撫順・瀋陽・ソウル」旅行記 第1回報告
「撫順」から未来を語る実行委員会では,2017年9月15日~20日の日程で,撫順,瀋陽,ソウルをめぐる6日間の旅行に出かけてきました。今回から不定期で,写真とともにその旅行報告をお送りいたします。
最初は,9月16日の午前中に,「平頂山惨案遺址紀念館」で開催された記念式典の様子です。
平頂山事件の発生が1932年9月16日で,今回はその85周年にあたる記念式典でした。
平頂山事件85周年追悼大会の挨拶
2017年9月16日
井上久士(日本平頂山事件研究会会長、日本中国友好協会副会長、駿河台大学教授)
本日は平頂山の惨劇から85年目の記念日にあたります。私はまず最初に、あの事件に遇われたすべての無辜の犠牲者に衷心より哀悼の意を表します。またそのご親族及び関係者の方々に心からのお見舞いを申し上げます。
1931年9月18日、日本は満洲事変をおこし、中国に対する侵略戦争を開始しました。自衛のためと言いながら、中国東北を占領し、ありもしない東北独立運動を口実に「満洲国」建国を一方的に宣言しました。中国人民がこのような侵略行為を許すはずはありません。その結果引きおこされたのが、1932年9月15日の遼寧民衆自衛軍による撫順攻撃であり、9月16日の平頂山事件でした。
85年前ここで犠牲となられた皆さま、皆さまはなぜ自分が殺されるのかもわからないまま突然生命(いのち)を絶たれました。このうえない不条理なことです。
日本の中国侵略はその後も続き、80年前の盧溝橋事件を契機に全面的中国侵略が始まりました。日本軍の虐殺と暴行は、南京をはじめ中国全土で繰り広げられることになりました。一方、中国人民の抗日闘争はさらに広く深く展開されるようになり、世界の国々も日本の侵略にきびしい態度をとるようになりました。
侵略戦争の敗北とそれに対する反省が、戦後日本の出発点でありました。この原点を忘れず、中国と日本の友好と平和を維持発展させていくことが、平頂山で犠牲になられた皆さまへの最良の慰霊であると信じます。
平頂山事件の幸存者の方々が、日本で裁判をおこされ、その後もこの事件の解決要求を出されてきたのは、日本がしっかりとこの原点にたち、戦争を再びおこさないことを願ってのことでありました。
最近の日本で歴史の教訓に背くような動向があることは、非常に危険なことであります。しかし、良心ある多くの日本人は平頂山の悲劇を決して忘れていませんし、日本の侵略の再現を決して許しません。ここに永眠されている皆さまが、安心して天国で過ごすことができますように、私たちも共に努力していくことをお誓いして追悼のご挨拶と致します。
《挨拶する井上委員長》
《参列者による献花》
《会場に放たれた鳩の群れ》
《実行委員会の集合写真》
次回は,9月16日午後に開かれた「第13回 平頂山事件国際学術シンポジウム」についてご報告する予定です。