「『撫順』から未来を語る 撫順・瀋陽・ソウル」旅行記 第3回報告
撫順,瀋陽,ソウルをめぐる6日間の旅行報告の第3回です。
今回は,記念式典翌日の9月17日に行われた撫順フィールドワークと撫順戦犯管理所訪問です。夕方には,平頂山事件幸存者の遺族を招待しての夕食会が催されました。
9月17日(日)
この午前中は撫順市社会科学院の元院長・傳波さんの案内で平頂山事件の現地をまわるフィールドワークです。
《撫順炭坑長住宅跡》
最初に撫順炭坑の炭坑長の住宅跡です。市内中心の小高い地域に立派な建物が残っています。事件当時久保孚が居住していました。
当時は炭坑長は空席になっていて、副炭坑長の久保孚がここに住んでいたそうです。久保は平頂山事件の謀議をめぐらした場にいて、戦後の国民党の戦犯法廷で処刑されています。
《煤都賓館》
次は当時の炭坑ホテルです。ここは当時の満州国の要人らが宿泊していたところで、日本の敗戦後もホテルとして活用され、後の中国の要人となる人物もたくさん宿泊しています。
いつだれが泊まったかということが宿泊した部屋にプレートが掲げられています。今は煤都賓館として現役のホテルです。
《撫順神社跡地》
その次は「撫順神社」の跡地です。今はこわされていて、跡形もありませんが、撫順の高台に建てられていました。
《神父が宿泊していた建物》
次に訪ねたのは、古い、こわれかけた建物です。当時神父さんたちが宿泊していたところのようで、ここは事件の後アメリカ人の新聞記者ハンターがここを訪問して、神父の衣服を借りて事件現場に行き、取材をしたということです。
今は近くの市場の商人が資材置き場になっています。ここで出会った男性は私たちに、「自分はキリスト教徒でこの建物をボランティアで管理している」と話していました。
《炭鉱事務所建物》
さらに市内を車でぐるっと回り事件の時、謀議をめぐらせた「炭坑事務所」に行くことにしました。傳波さんは、今はそのたてものは一企業の建物になっていて、はいれないから、道路反対側の病院の上の方からみよう、ということで病院に行きました。
ここは戦前は満鉄病院で、今も病院です。この9階の窓からよく見えるということで行きました。入院患者がベッドに横たわっている隣の廊下から、道路向かい側の炭坑事務所を見ました。かなり大きな建物で立派なものです。
《独立守備隊宿舎跡地》
さらにバスを走らせて、関東軍独立守備隊の宿舎跡へ行きました。
今は兵士の宿舎しか残っていません。それも廃墟のようになっていて、半分朽ち果てた建物がありました。畑に囲まれていて今も住民が住んでおり、建物は当時のままに残っています。今にも崩れそうな壁と屋根でした。
《撫順戦犯管理所》
午後は撫順戦犯管理所訪問です。
ここでは館長さんが出迎え、あいさつをかわしたあと館内を案内してくださいました。ゆっくり展示をみてまわることができました。
1950年にソ連から移管された日本軍の元兵士たち969人はここで中国側からの人間的な対応に接し、自分たちが中国人に対して何をやったかを考えるようになります。周恩来の政策です。
職員のほとんどは身内が日本兵に殺されています。周恩来の方針に納得できない職員も多数いました。それを辛抱強く説得し、元日本兵を人間的に遇するのです。元日本兵が鬼から人間に再生したのです。
元兵士は自分のしたことを坦白し、極刑にしてください、と言います。しかし、1956年開かれた法廷では、ほとんどの人が起訴猶予となり、即時解放されます。有罪となった45名もシベリア及びこれまでの戦犯管理所の期間が算入され、刑期短縮で1964年4月9日までにすべて帰国します。
帰国した元兵士は中国帰還者連絡会をつくり、日中友好、反戦平和の運動を繰り広げます。当時の戦犯管理所の様子がわかる展示が残され、戦犯が運動や娯楽を楽しめるような設備が随所に残されていました。演芸会をやった舞台、園芸を楽しめるようにできた庭園もあります。運動場で運動会もやったそうです。戦犯の写真も飾られ、戦争の時、中国人に何をしたのか、人から鬼になった時の状況も展示されています。
一人ひとりの人間のドラマがあります。中国の戦犯政策の勝利です。
1987年になって元戦犯たちがつくった謝罪碑が管理所正面に設置されています。ここに献花し、犠牲者への黙祷をしました。
《夕食会》
夕食は幸存者の遺族を招待しての夕食会です。幸存者で原告だった莫徳勝さんの長男夫妻、同じく原告だった楊宝山さんの娘婿の劉伝利さん、幸存者の楊玉芬さんの次男、幸存者の鄭殿齢さんの息子の鄭長記さんらを招きました。遺族とも今後も交流を続けようと参加者一同で宴会を盛り上げました。
《幸存者で原告の莫徳勝さんの息子の莫林義さん》
《幸存者で原告の楊宝山さんの義理の息子で後継者の劉伝利さん》
《幸存者の楊玉芬さんの次男》
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