「『撫順』から未来を語る 撫順・瀋陽・ソウル」旅行記 第4回報告
撫順,瀋陽,ソウルをめぐる6日間の旅行報告の第4回報告になります。
たいへんお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
今回は,9月18日の報告です。この日は撫順から瀋陽に移動して、いわゆる『瀋陽裁判』の跡地や九・一八記念館などを見学しました。
9月18日は、バスで瀋陽に移動しました。出発前の朝、撫順の宿泊先である友誼賓館に周館長が見送りに来てくれました。
撫順から瀋陽まで高速道路で移動しました。昨年来た時はまだ、開通していませんでした。
《周学良・平頂山記念館館長(中央)との最後の記念撮影》
瀋陽では、まず瀋陽特別軍事法廷陳列館に行きました。ここは、1956年に瀋陽で開かれた日本戦犯を裁く特別軍事法廷があった場所(旧跡)で、以前は映画館でしたが、法廷の様子を復元する記念館となり、2014年5月から一般公開されています。
この軍事法廷で撫順戦犯管理所に収容された戦犯たちも裁判を受けました。全員自らの罪を認めましたが、処刑されることなく、日本に帰国が許されました。
《瀋陽特別軍事法廷陳列館の建物》
当時の写真や資料も展示されていますが、圧巻は蝋人形が居並ぶ法廷の陳列です。首を下げて法廷に立つ戦犯たちの蝋人形は大変精工に作られていて生きているようにも見えます。
当時の資料に基づき作られているそうで、撫順の軌跡を受け継ぐ会の人からは、自分の知っている元戦犯の蝋人形もあり、そっくりだったとの感想が述べられました。
《蝋人形によって再現された法廷の様子》
《寛大な判決に聴き入る被告人たち》
陳列館を出て、バスは、瀋陽旧大和ホテルに向かいました。中山広場の前にある20世紀初めに旧満鉄が建てたホテルです。蒋介石や毛沢東も宿泊した歴史のあるホテルで、内部はきれいに保存されています。
中山広場の正面には毛沢東の巨像が立っていて、現代中国とそぐわずなんとも不思議な感じです。
《中山広場の毛沢東像》
昼食をとった後、この日のメインである918記念館に行きました。
1931年9月18日、関東軍は、柳条湖において満鉄線路を爆破しこれを国民党軍の襲撃であると偽って、中国東北部への侵略を本格化させていきます。満州事変(918事変)の始まりです。この鉄道爆破地に918記念館が建てられています。
《9・18記念館》
入口には江沢民の書で918記念館の大きな碑があります。
満鉄線路の爆破地点にも碑がたっています。
《江沢民の揮毫》
陳列物の中には、満州国の役人や軍人(戦犯)の写真と説明があり、岸信介元首相の写真と説明もありました。
日本軍の小銃や、拷問具などが陳列されているほか、瀋陽の戦犯法廷の写真もかなり展示されています。
平頂山事件や731部隊のコーナーもあります。
《A級戦犯岸信介の展示》
《展示されていた拷問器具》
《731部隊の展示》
平頂山の幸存者の莫さんの写真もありましたが、なぜか名前が違って表示されていました(李徳勝)。
918記念館は、広大な面積ですが、展示物に日本語表示がないのが残念です。
《名前が間違っている莫徳勝さんの写真》
記念館を後にして、一行はホテルに戻り、希望者は、スーパーで買い物をしました。その後の晩餐会では、参加者一同、旅の感想を語り合い、盃を重ねて来訪を誓いあいました。
《瀋陽市内のスーパーマーケット》
《薄暮の瀋陽の街並み》
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