「『撫順』から未来を語る 撫順・瀋陽・ソウル」旅行記 第5回報告
撫順,瀋陽,ソウルをめぐる6日間の旅行報告の第5回報告です。
今回が最終回になります。
一行は9月19日に瀋陽からソウルに移動し、20日水曜日にソウルで「水曜デモ」に参加して帰国しました。その行程をご報告します。
【19日 西大門刑務所見学、夕食交流会】
19日に中国からソウルに到着し、アリラン航空旅行社の代表金善龍さんと平和ガイドの金寿栄さんが空港でお出迎えをしてくれました。
早速、インチョン空港から西大門刑務所に行きました。西大門刑務所はソウル市内にあり、1908年に日本政府が建てました。現在は刑務所跡が資料館になっています。
《西大門刑務所の入口》
日帝時代は独立運動家を収監、拷問しました。独裁政権時代には、民主化運動家が投獄、弾圧されました。その歴史がパネルや模型で詳しく説明されています。
日帝時代から戦後の軍事政権時代まで金寿栄さんの詳細な説明がありました。
《拷問展示の一つ》
《死刑執行場》
柳寛順が入れられた地下監獄はとても狭い独房でした。拷問も受けました。10代の学生が拷問を受けたと聞くだけでぞっとしますが、なぜ女性の監獄が地下だったのか、柳寛順の正確な死亡日や遺体の所在など、今だに判明されていないとのことでした。
《柳寛順が入れられた地下独房》
韓国といえば焼き肉です。ホテルから歩いて10分ほどの焼き肉屋さんでサムギョプサルを堪能しました。
その席に元朝日新聞記者の植村隆さんと民族問題研究所の金英丸さんが参加してくださいました。韓国の社会情勢などリアルなお話を伺うことができ、大変素晴らしい交流ができました。
《植村隆さんが参加してくれた宴会》
【20日 景福宮、韓国挺身隊問題対策協議会、「戦争と女性の人権博物館」水曜デモ】
20日とうとう帰国日です。
朝一番で景福宮を見学しました。
一番奥にある明成皇后(閔妃)殺害現場の建物が復元されたそうで、その建物だけ見学しました。金さんが、殺害した明成皇后が本人かどうかを確認するための日本のやり方が本当に許せないと、涙を浮かべて説明していました。大変屈辱的な方法だったといいます。
《景福宮での記念撮影》
その後すぐ移動し、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)を訪問しました。ビルの一番上のフロアでカフェのようなとてもすてきな雰囲気の事務所でした。団体の活動を伊美香さんにお話を伺い、参加者からも質問がたくさん出ました。
《挺対協事務所の建物》
《挺対協との協議》
すぐ近くにある「女性と人権博物館」を見学しました。高校生くらいの若い方々がたくさん見学していたのが印象的でした。
《女性と人権博物館の建物》
《館内にある元「慰安婦」の方の銅像》
そのあと水曜デモ参加しました。
渋滞のため少し遅刻してしまいましたが、すでに水曜デモは大変な活気で盛り上がっていました。
トラックの上がステージになっており、スピーカーも完備で、ボランティアの方が無料でイヤホンを渡してデモの発言の内容を通訳していました。200人くらいはいたのではないでしょうか。金融系の組合の人や、メディア、欧米系の方などたくさん参加していました。
《水曜デモの様子》
《水曜デモの参加者たち》
《会場であいさつする金福童ハルモニ》
私たちも発言の機会をいただきました。
参加者の代表がハングルで、平頂山事件のことを説明しました。日本政府は住民虐殺の事実を認めていない、謝罪するまでともにがんばりましょうと伝えると、参加者の皆さんはうなずき、拍手してくれました。
《参加者一行のあいさつ》
《会場の慰安婦像》
近くのレストランで参鶏湯をいただき、ソウル組も無事帰国しました。
《最後に食べた参鶏湯》
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