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2018年12月29日 (土)

平頂山事件86周年記念式典

 たいへん遅くなりましたが、2018年9月16日に行われた平頂山事件86周年記念式典について報告いたします。



【記念式典の報告】
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                     《記念式典の様子》

 今回は平頂山事件から86年です。1932年9月16日に住民約3000人を虐殺してから長い月日が流れました。幸存者も最後の楊玉芬さんが2017年3月に亡くなり、すべていなくなりました。
 事件当時、中国の国民党政府が国際連盟にこの事件を訴えて、国際的な問題になりました。日本政府は「戦闘中に住民がまきこまれた事件だ。住民虐殺ではない」と弁明し、政府の公式見解としてはそのままになっています。日本は未だにこの見解を変えていません。住民虐殺はなかったというのです。
 2018年の9月16日、撫順市の平頂山事件の慰霊碑の前で「平頂山事件86周年式典」がひらかれました。撫順から未来を語る実行委員会から今年は7人が参加し、犠牲者の冥福を祈るとともに、この事件を次の世代に語り継ぐことを誓ってきました。



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                   《記念式典でのあいさつ》



 式典では、日本からJR東日本労組の村田副委員長があいさつしました。その後、参列者一同が次々と献花し、式典を終了しました。



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             《JR東日本労組村田副委員長のあいさつ》




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                     《参加者による献花》




【国際学術シンポジウム】

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                  《シンポジウムの集合写真》

 式典のあと、第14回平頂山惨案国際学術シンポジウムが開かれました。

 午前中に開幕式がおこなわれ、中国側主催者からシンポジウムの意義が述べられました。日本の大江弁護士からは、これまで日本の弁護士・市民がとりくんできたこと、中国の記念館との交流の歩みなどが報告されました。

 昼食をはさんで午後から、シンポジウムの討議が始まりました。
 日本側からは川上詩朗弁護士が、実行委員会のとりくみの今後の展望と課題について以下の3点に関して提起を行いました。

 ①幸存者の三要求の実現
 ②シンポジウムの発展
 ③若者への継承

 撫順社会科学院の王平魯さんからは、「ハンターの報道と撫順のキリスト教会の役割」と題する報告がありました。
 ハンターは平頂山事件を最初に国際社会に報道した記者ですが、彼は撫順のカトリックの神父から情報を得たとのことでした。カトリックの神父が世界に情報を最初に発信したというのです。


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                     《王平魯さんの報告》


 記念館の研究員である蓋嵐嵐さんは、平頂山事件の記念式典が最初は1951年からはじまっていたと報告して、第一回の式典の写真を公表しました。実はこの式典で、平頂山事件訴訟の原告だった方素栄さんが証言していたことも報告されました。

 この時にはまだ記念館はできておらず、写真の場所は現在の記念館の庭あたりになっていて、日本軍が崖を爆破して死体を埋めた丘がそのまま見えていました。とても貴重な写真です。



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                    《第1回記念式典の写真》



 同じく研究員の張紅さんは、これまでのシンポジウムの経過を整理し、多くの成果をもちらしたことが報告されました。未発掘の資料の存在もつきとめ、今後各地の当案館で資料の研究がすすめられると良い、という報告でした。


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                      《張紅さんの報告》

 最後に傳波さんは、今回も貴重な成果を上げたシンポジウムだった、とまとめの言葉を述べ、記念館の周学良館長は今年で定年になるが、シンポジウムは継続していこう、と力強く言明されました。


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                    《傅波さんによるまとめ》




【平頂山惨案記念館の周学良館長は最後の式】

 10年以上にわたり平頂山惨案記念館の館長として、平頂山事件の幸存者を大切に想い、事件の事実を世界に発信する記念館の責任者として尽力してこられた周学良館長が、2018年11月に定年を迎えて退職することになりました。
 今年の記念式典は、館長として参列する最後の式典となりました。
 館長の後任はまだ決まっていないそうです。

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                  《最後の式典に臨む周学良館長》



【参列した幸存者遺族】

 式典には、幸存者の遺族も参列しました。2016年に亡くなった王質梅さんの長男・張英夫さんが奥さんとともに参列していました。張さんは長春に在住しています。
 張さんは午後に開かれたシンポジウムにも参加し、議論を聞いていました。


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                     《参列した張英夫さん》


 この他にも、訴訟の原告となった故楊宝山さんの娘婿の劉伝利さんなども式典に参列していました。



【大江弁護士が撫順の中学で生徒たちに講演】
 翌日の17日に、撫順第二中学で生徒たちとの交流会をもちました。これはシンポジウムで話された「次の世代に伝える」をさっそく実践したものです。

 シンポに参加した傳波さんは、現在撫順市の青少年育成の担当をされているということで、平頂山事件と日本での裁判の様子などを撫順の中学生に伝えるという取り組みです。



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                     《参加した中学生たち》


 大江京子弁護士が、映像を使って中学生に平頂山事件と日本での裁判、幸存者との交流などを伝えて交流しました。


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                   《大江弁護士による報告》

 また、これに先だって12日には、撫順第一中学で、実行委員会の大谷猛夫氏が高校生に平頂山事件と日本での支援運動について話をしました。中国の「中学」は日本の中高に相当するので高校生もいるのです。
 撫順一中は文化祭の一環としてこの催しをおこない、日本からは「再生の大地」合唱団が参加して、平頂山事件と戦犯管理所が織り込まれた合唱を披露しました。

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