画期的なオンライン交流会 ~ 日中の市民交流 ~ 被害者遺族も参加
例年9月16日に開催される『平頂山事件追悼集会』と同日に実施されていた,「撫順から未来を語る実行委員会」と「平頂山惨案遺址紀念館」との『国際学術シンポジウム』ですが,今年(2021年)はコロナの深刻な拡大のため,中国側において追悼集会の開催自体が不確定な状態です。
そのため実行委員会としては,今年の『国際学術シンポジウム』の実施自体を断念せざるを得ないと判断することになりました。
そこで以下では,昨年(2020年)9月16日に開催された『国際学術シンポジウム』の模様について,遅ればせながら報告させていただきことにします。昨年のシンポも,コロナの影響で訪中自体を断念して,ZOOMを使ったオンラインで実現することができました。
今年2020年の9月16日は、1932年に起きた平頂山事件から88年目にあたります。「撫順から未来を語る実行委員会」は、中国撫順市にある平頂山惨案紀念館と連絡をとり、オンラインでの交流会を実現することとなりました。
9月16日午前、撫順の平頂山事件記念碑の前で例年と同じく追悼集会が開催されました。日本からの参加はかないませんでしたが、集会の様子をうつしたビデオ映像が送られてきました。
午後にオンラインで中国と日本を接続して『国際学術シンポジウム』を開催しました。
中国側では紀念館の一室にカメラが設置され、参加者が集合しました。紀念館の館長を始めとする関係者、撫順旅游センター、撫順市社会科学院や、撫順在住の幸存者遺族などが集まりました。雲南省の昆明からは、幸存者で訴訟原告だった故・方素栄さんの夫である曲永富さんが自宅から参加してくれました。
【中国側の参加者の様子】
日本側からは、撫順未来実行委員のほか、前参議院議員の相原久美子さん、現役の衆議院議員の近藤昭一議員も参加されました。このときはちょうど,日本の国会で首班指名がおこなわれ菅義偉新総理が誕生した当日でしたが、近藤議員はわざわざその合間をぬって時間を作り参加して下さったものです。
近藤昭一議員は、「88年前の今日、虐殺事件がおきました。幸存者も亡くなりとても残念です。日中関係がより良くなっていくよう歴史を直視し、未来への良好な関係をつくりだせるようにがんばります」とあいさつしました。
相原久美子前参議院議員は、「昨年8月で議員を辞しました。けれども今日、なつかしい顔に会えました。一国民として、歴史をしっかり学んで次の世代に伝えるとともに、幸存者の願いを実現するため一国民として頑張りたいと思います」とあいさつしました。
中国側からは楊郁・撫順市宣伝部副部長があいさつして、「2004年からの交流があり、平和を願う人々のつどいが続けられています。状況が厳しいときこそ歴史を鏡にし、さらに前進させたいです」と述べました。
また、撫順市文化旅遊発展促進センターの商澤友・主任からは、「この会議の目的は、平頂山事件について専門家が協力して研究していくことで、侵略戦争の中での日本軍国主義の罪を明らかにし、今後の良い関係をつくっていき世界平和に貢献することです」との発言がありました。
日本側の主催者を代表して、実行委員会委員長の井上久士さんがあいさつに立ちました。「式典に参加できませんでしたが、犠牲者に哀悼の気持ちを表します。1996年に幸存者が日本政府を訴え、日中の裁判支援が始まりました。その過程で平頂山事件の国際シンポジウムが始まり、裁判終結後も次の世代に伝えるために活動を続けています。この間の大きな成果は信頼と友情です。平頂山事件の悲劇を忘れず、伝えていきます」と述べました。
続いて参加者からの報告に入り、日中それぞれ二本の報告がありました。
まず中国側からは、旅遊センター副主任の李強さんより、若者の歴史認識を助けるための紀念館の役割についての発言がありました。そのため紀念館のガイドさんの案内が大切だということでした。これを聞いた若者の言葉を集めたものを出版する予定もあるということでした。
続いて日本の横浜で平和のための戦争展を開催している福島豊さんから、戦争展の実際が紹介されました。毎年3回の展示会をひらいてきた実績があって、2月は実施できましたが5月はコロナ禍で中止となりました。7月末の展示会は、コロナの感染者が増えていく時期に重なっていましたが、対策を充分とって開催することができました。その中で、平頂山事件のようすを知らせるパネルも展示されました。入場者は例年の半分程度となりましたが、まわりの施設の多くも閉鎖されているなかでの開催で、参加者は熱心に展示に見入っていたということです。
平頂山事件惨案記念館の黄峰・館長から発言がありました。来る2022年(平頂山事件90周年)にむけてのアイディアと題する発言で、①記念館の展示をリニューアルして次の世代に事件を伝える工夫をこらしたい、②中国各地の戦争記念館の代表を会してつどいをもちたい、などの提案がありました。
【日本側の参加者の様子】
最後の報告者である大江京子弁護士からは、「2022年の平頂山事件90周年までにとりくむこと」との報告がありました。要旨は以下のとおりです。
《1996年に3人の幸存者が原告となって裁判をおこし、その過程で原告らが日本の市民に被害の事実を訴えました。10年に及ぶ裁判の最大の成果は、判決で平頂山事件の被害についての事実認定がおこなわれたことです。同時に日中の市民の連帯も広がりました。2006年には日中の市民が共同声明を発表し、幸存者の三要求実現のために努力していくことが確認されました。
2008年には幸存者の王質梅さんが来日し、2009年には相原久美子議員が24人の国会議員の手紙をもって撫順を訪れ、幸存者に会いました。2010年には幸存者の楊玉芬さんが来日しました。2012年には瀋陽総領事が方素栄さんら存命中の幸存者に会い、日本政府のメッセージを伝えました。このメッセージは謝罪を伝えるものではありませんでしたが、日本政府の代表が幸存者たちに会い、メッセージを伝えたことは大きな成果だったと思います。
問題の多かった安倍政権は7年8ケ月に及びましたが、本日退陣しました。今後さらに、平和と民主主義をめざす政権の誕生をめざします。平頂山事件の解決を求める運動を続けます。
2022年には中国の方を日本にお迎えして、平和のつどいを持つことをめざします。コロナ禍のなか、国家間の争いをやめ、国際協力を続けることを求めています。今後の平和のために皆さんとともにがんばりましょう。》
これらの報告をうけて討論にはいりました。
最初の発言は、撫順社会科学院の王平魯副院長でした。「平頂山事件は撫順社会科学院が長いあいだ続けてきたテーマです。この会議は友好のプラットフォームです。歴史を忘れず、平和を愛することを再確認しています。今回は画面を通してなつかしい顔に会えました」と再会を喜んでくれました。
続いて姫田光義さんから「撫順を世界記憶遺産に」という提案がありました。「撫順の歴史の事実を日中協力で世界記憶遺産に、という提案をします。平頂山事件、撫順戦犯管理所の所在地として、世界の人々の記憶に残すべきです。撫順戦犯管理所は現存する世界唯一の戦犯管理所です。日本軍兵士はここで日本軍国主義加害の罪を認め、普通の人に変わることができました。憎しみ、うらみの連鎖を断ちきり、友情を育んだのです。平頂山事件を含め、撫順の人々と日本の人々にとって、このことは世界中に広める価値があるものです」という内容でした。
幸存者の故・楊玉芬さんの息子である張毓奇さんからは「みなさん健康に留意して」という日本の参加者たちを気遣う発言があり、最後に紀念館前館長の周学良さんから、「館長の仕事を退職してから2年がたちました。それまで10年のあいだ館長の役職にありました。今後も事実を次の世代に伝え、幸存者の三要求を実現する、という活動を続けていきたいと思います」とあいさつがありました。
最後に、日本から実行委員の福田和男さんから閉会の辞が述べられました。「オンラインという形式での交流でしたが、日中友好の成果をさらに積み上げることができました。今後のとりくみについても意思統一ができたと思います」と締めくくられました。
数多くの障害のある中での『国際学術シンポジウム』でしたが、継続できたことに大きな意義があったと思います。いつの日か、訪中して直接面談して活動を再開できることを楽しみにして待ちたいと思います。
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