ロシアのウクライナ侵攻や台湾有事の危機を口実として、日本政府は唐突に「安保3文書改訂」を閣議決定して、新たな戦争準備を進めています。その仮想敵国として想定されているのが中国です。
しかし、現在の中国は本当に日本の「敵」だと見るべきなのでしょうか。日本政府は「安保3文書改訂」によって、実際には何を狙っているのでしょうか。
私たち「撫順から未来を語る実行委員会」は従前から、1932年9月に関東軍独立守備隊によって引き起こされた中国の民衆約3000人に対する虐殺事件『平頂山事件』が、その後の日中全面戦争による日本の侵略や太平洋戦争につながっていってしまった教訓に学び、現在を「新たな戦前」にさせないようにする活動を続けてきました。
今回は日本政府による「安保3文書改訂」の正体を明らかにするとともに、現在の中国の実態が日本の「敵」なのかについて、それぞれ最先端の専門家の観点から、緊急学習会を開催いたします。時間のないなかで申し訳ありませんが、ご参加いただきたくご案内申し上げます。
日時 :2023年3月18日(土)午後6時~
場所 :文京区民センター3C会議室(定員36名)
資料代 :500円
主催 :撫順から未来を語る実行委員会
平頂山事件が起きた1932年9月16日から、今年はちょうど90周年にあたります。また日中共同声明発出から50周年にもあたる節目の年となります。
そこで「『撫順』から未来を語る実行委員会」では、「平和をねがう中央区民の戦争展実行委員会」の協力を得て、このたび『平頂山事件90周年記念集会』を開催する運びとなりました。
日時 :2022年9月10日(土) 午後2時開会(入場1時半)
場所 :中央区月島社会教育会館4階ホール
参加費 :500円(学生・18歳以下無料)
内容 :「裁判がつむいだ日中市民の活動」報告(平頂山事件訴訟弁護団)
「再生の大地」合唱団による合唱
記念講演 『平頂山事件とは何だったのか』
講演者 :井上久士 先生(駿河台大学名誉教授、日本中国友好協会会長)
このほかに、「平頂山惨案遺址紀念館」からのメッセージ、関連団体・支援者からのあいさつなども現在調整中です。
講演をする井上久士先生は私たち実行委員会の代表でもありますが、きちんとした歴史学者として平頂山事件の研究を重ねてきた実績を有する希有な専門家です。『平頂山事件資料集』(柏書房2012年発刊)の編者も務めています。
井上先生はこれまでも折に触れて平頂山事件の資料を収集していましたが、このたびその成果をまとめた単著『平頂山事件を考える ― 日本の侵略戦争の闇』(新日本出版社)を8月に発刊予定です。これに基づく最新の研究成果を、特別に記念講演して下さいます。
また当日会場では、この井上先生の新刊のほかにも、関連書籍の物販を予定しています。
コロナ禍ではありますが、ぜひとも足を運んでいただきたくお願い申し上げます。
ロシア軍によるウクライナの民間人虐殺報道を受けての緊急声明
ロシア軍によるウクライナへの侵攻が続く中、ウクライナの首都キーウ(旧称キエフ)周辺に展開したロシア軍が、ウクライナの民間人を多数殺害していたという報道がなされている。現在ロシア政府は民間人虐殺を否定しているものの、現時点で公表されている報道写真や証言などから、戦闘員とは思われない、移動中ないし無防備の民間人が、ロシア軍の侵攻後、多数殺害されていることは紛れもない事実と判断することができる。
ロシアによるウクライナへの侵攻は、ロシア政府によって、NATOの東方拡大への対抗措置や東部の親ロシア派地域の「治安維持」などの理由が述べられているものの、他国への一方的な軍事侵攻であることにかわりはなく、国際法に違反した明らかな侵略行為である。さらに無防備の民間人を殺害することは、たとえ戦闘中であっても決して許されるものではない。今回のロシア軍によるウクライナ民間人に対する虐殺行為は、ジュネーブ条約に違反し、人道に対する罪を構成するのであって、どのような理由があろうと到底正当化することは許されない。
私たちは、1932年9月16日、当時日本の傀儡国家であった「満州国」の撫順市で発生した旧日本軍による中国の民間人虐殺事件である平頂山事件について、奇跡的に生き延びた生存者が日本政府に対し提起した裁判を支援し、彼らの要求を実現するため、日本政府に対し、事実を認めて被害者に謝罪し、事件を後世に伝えるよう要求している。
戦前日本は、満州(中国東北部)を「わが国運発展のため最重要なる戦略拠点」「満蒙権益」などとして、1931年9月18日、関東軍自作自演の満鉄線爆破事件(「柳条湖事件」)を起こし、「自衛のため」と称して中国への本格的な軍事侵略を開始した。そして、1932年9月15日に傀儡国家「満州国」を承認した。平頂山事件は、抗日義勇軍が満鉄の経営する撫順炭鉱を襲撃して日本側に大きな被害が生じたことをきっかけに、抗日義勇軍が通過したことを日本軍に通報しなかったという名目で、当時平頂山地区に住む何の罪もないおよそ3000人の民間人が一か所に集められ、旧日本軍によって殺害されたという極めて凄惨な事件である。事件後、旧日本軍への非難が国際的に沸き上がったとき、当時の日本政府は国際連盟において、平頂山事件は抗日義勇軍の掃討時に民間人が巻き込まれただけだと発表した。そして戦後現在に至るまで、日本政府は、平頂山事件が旧日本軍による計画的な民間人虐殺だったという事実を認めず、戦前の発表を正式に撤回もしていない。つまり日本政府は現在も公式には平頂山事件の真実を認めていない。
私たちは、ロシア政府による、「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の承認と両国からの要請による治安維持のための軍事行動という言い分や、軍隊が無防備の民間人を大量虐殺し、事実を指摘されるや「フェイクニュースだ」と言い張って事実そのものを認めない態度が、中国を侵略した戦前の日本及び現在に至るまで平頂山事件の事件を認めない日本政府の姿勢と重なって見える。今回のロシア軍によるウクライナの民間人虐殺事件を、遠い国で起きた他人事であると等閑視することは到底できない。
むろん、歴史的にみれば、他国に侵攻した軍隊による民間人虐殺は旧日本軍やロシア軍に限らない。第二次世界大戦中のナチス・ドイツの占領地における虐殺行為、アメリカのベトナム戦争におけるソンミ村虐殺やイラク、アフガン戦争による「誤爆」と称する民間人虐殺など、歴史上、大国の侵略戦争による民間人虐殺は枚挙にいとまがない。
しかし、それゆえに戦争にとって民間人の犠牲はつきものであるとか、仕方のなかったことなどと諦めの態度をとることは、国連憲章や日本国憲法前文、同9条で示されてきた、理性獲得へと至る長い歴史の積み重ねを根底から覆し、人類を野蛮のみちへと引き戻しかねない。そしてその行き着く先は、核戦争であり、人類絶滅のへのみちである。
私たちは、どのような理由があろうとも、他国への侵略や無防備の民間人殺害を正当化してはならない。私たちは、いかなる理由があっても戦争に反対する。
私たちは、ロシア政府に対して、即刻ウクライナから軍隊を撤退させるとともに、今回の民間人虐殺事件の真相を究明して、加害者を罰し、被害者に対して責任をとるよう強く求める。そして、日本政府に対しては、ロシア軍によるウクライナへの侵攻をこれまで以上に非難するとともに、わが国として、ロシア軍の侵攻が続く現在はもとより、過去も、そして未来も永遠に、軍隊が民間人を殺害することは決して許さないことを、わが国の国是として公式に表明するよう強く求める。
2022年4月7日
撫順から未来を語る実行委員会
平頂山事件の勝利を目指す実行委員会
平頂山事件弁護団
「日本国憲法公布70周年記念 連続講座 日本が再び『戦前』にならないために
~平頂山事件に至る時代と今の時代を比較して~」
明治憲法は天皇にすべての権限が集中していました。内閣の中に軍隊がありました。しかし、参謀本部は内閣の外にあったのです。参謀本部の作戦司令官は天皇に直属していました。
統帥権の独立もありました。天皇の大権は議会の同意を得ずに行使することができます。国務大臣は天皇を補佐することになっていましたが、天皇は別に陸海軍を統帥することになっていました。参謀総長がこの補佐をするのです。さらにこの参謀本部と関東軍や連合艦隊などの「現地軍」との関係でいうと、参謀総長は直接現地軍に指揮・命令できないのです。現地軍は直接天皇の命令下にはいります。海軍は大海令、陸軍は大陸令というのがありました。1941年11月5日の大海令で、12月初旬に対米開戦を連合艦隊司令官に伝えるのです。内閣や参謀本部が直接現地軍に命令できないしくみになっていたのです。
さらに、明治憲法は国家機関が分立しているのが特徴です。各国務大臣は所管の事項について直接天皇を補佐する、となっていて、首相が直接各大臣に命令できないしくみになっていました。首相の権限が弱いのです。なぜこのようになっていたかというと国家機関を対立させるためです。衆議院と貴族院があったことも天皇大権の空洞化を恐れたためでした。
軍の暴走をとめられなかったのは、臨時軍事費の問題もあります。この臨時軍事費は一般会計と別になっていました。臨時軍事費はこまかい内容は明らかにされませんでした。海軍・陸軍・その他の項目があるだけでした。その中身はまったくあきらかにされていません。会計検査院の決算は審議なしで通過するのです。
1914年から1918年の第一次大戦の時の臨時軍事費として予算化されたものは、その後のシベリア出兵にまで使われます。1925年まで続いた北樺太占領にも使われます。1919年の三一独立干渉にも使われます。戦費として計上されたものを植民地に使うのです。日中戦争の戦費を対ソ戦、対米戦の準備に拡張して転用します。日中戦争の間に対米戦を準備していたわけです。
統帥権の問題ですが、法律は議会の同意がなければなりませんが、勅令は議会にかけなくてよいものでした。その勅令の中に軍令というのがあります。作戦にかかわるものなど軍事にかかわる勅令です。
軍縮が実現してくると臨時軍事費も議会の批判をうけるようになりました。「第一次大戦の臨時軍事費をなぜシベリア出兵に使うのか」「機密費の内容を明らかにしろ」などの質問がでるようになります。
明治憲法は発布の際に勅令が出ます。不磨の大典(永久に続く法典)となっています。だから改正する時も勅令でおこなう、となっているのです。憲法に瑕疵はない、ということです。神聖化されるのです。
陸海軍大臣はすべて現役の将軍でなければならない、ということになっていました。閣内に必ず2人の軍人がいるのです。内閣で軍のことをなんと呼んでいたか、というと、大正期には「わが国軍」でしたが、満州事変以降は「皇軍」となります。
民衆と地域を考えます。第一次大戦は総力戦と表現されました。国家のすべて(人的、経済・資源)を捧げるということです。世界的には、第一次大戦は悲惨な惨禍であり、戦争の違法化がすすみます。パリの講和条約やこれによってつくられた国際連盟の規約にも不戦が書かれます。1928年には不戦条約も結ばれます。日本はこの戦争に無理矢理参戦し、青島や南洋に出撃しますが、悲惨な体験はありません。第一次大戦で日本は五大国になりましたが、国民の文化にはあまり大きな影響はありませんでした。世界から火事場泥棒といわれたのです。日本は大戦の受益者でした。戦争はペイすることを学びました。
軍縮で4個師団が廃止されると配属将校を学校に配置して、学校教練をはじめます。士官学校もつくり、中学校で軍事教練をやって高学歴の兵士を養成し、若い将校を育成していきます。地域の青年団もこれに組み込まれます。大手のマスコミがこれに拍車をかけます。
それが、これらの戦時システムを戦後根本的な転換があります。日本国憲法です。システムには根本転換がありましたが、意識や歴史認識はどうだったでしょうか。戦後70年安倍談話や21世紀懇談会をみてみると、どうでしょうか。